カテゴリー 「新・嘘六百」 のアーカイブ
2007年05月28日
JASRAC kills our rosy future
またJASRACが勝訴しちまった。
音楽保存サービス:ストレージ利用は著作権侵害 東京地裁(毎日インタラクティブ)
「複製業者」によって複製された著作物は、
いわゆる「私的複製」にあたらない、というの著作権法の条項を、
インターネットのファイル保管サービスにも適用した判決。
つまり、サーバーを経由するコトが「複製」にあたる、という判断だ。
# ちなみに、判決を下したのは、
# 「一太郎&花子の販売差し止め」の判決を出した
# トンデモ裁判官として有名な高部真規子(ググってみよう!)。
だから、
インターネットのファイル保管サービスに著作物を保管すると――
違法。
保管した本人だけでなく、サービス運営者も、違法。
つうコトは、
自分で契約しているレンタルサーバーだとしても、
たとえそれが自分専用のファイル倉庫だとしても、
そこに著作物を保管すれば――
違法。
レンタルサーバーの会社も違法。
さらに云えば、
会社のメールから、自分の自宅メール宛てにファイルを添付しても、
それはメール「サーバー」を介するワケだから――
違法。
プロバイダも違法。Yahoo!だろうがOCNだろうが違法。
いずれJASRACは、音楽に満ち溢れた世界を殺すだろう。
全てのインターネット通信はエシュロンで盗聴されるだろう。
ユビキタスな未来なんて永劫にやってこないだろう。
「音楽文化の振興に貢献」?
ケッ、笑わせやがるぜ。
これぐらいやってから云いやがれ。
→音楽文化の振興を図るために
tsurumy at 16:40 | リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年05月24日
音楽文化の振興を図るために

JASRACが、YouTubeを買収すればいいんじゃね?
いやそれは半分冗談だけど(半分マジだけど)、
JASRACが音楽専門のアップローダーを立てて、
ダウンロード毎に使用料を権利者に払うってのはどうか。
これ、技術的には(曲の判別とかレート変更とか)
それほど難しくなく出来ると思う。
使用料の財源は…今のバカ高い音楽使用料と、広告収入。
つまりユーザーは、タダで音楽をやり取り出来るの。
ただし、アップロードする時点で、
クオリティは「視聴」レベルに落とされちゃう。
いい音で聴きたかったら、お金を払って
「製品版」をダウンロードしろって話。
(簡単にリンクで飛べるワケだね)
これなら、完璧にJASRACが管理出来るワケだし、
違法サイトをどれほどキツく取り締まっても文句は出ないよね。
JASRACの理念が「音楽文化の振興」っていうのなら、
今の時代には、ここまでやらないとダメなんじゃね?
音楽は、広まってナンボなんだから。
(※このネタ、半分本気だよ)
tsurumy at 19:05 | リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年10月10日
「アーケードTVゲームリスト」発売のコト
以前、「それは『ポン』から始まった」(アミューズメント通信社)という本を紹介したコトがある。アーケードゲームの歴史を克明に綴った良書だ(→それは「ポン」から始まったを含むエントリー)
ウチの記事を読んで「それポン」を購入された方もかなりいらっしゃるようで、紹介した鶴見も鼻高々だ(笑)。ま、良書は須く広まるべし、ではあるのだけれど。
そして…本来は「それポン」の巻末付録となるハズだった「アーケードTVゲームリスト―国内・海外編」が、この度やっと発売になるんだという。
なんでも、1971年~2005年に発売された、国内・海外合わせて約1万にもならんとする業務用TVゲームについて、各タイトルに使われている基板システムや、製造・販売面でのライセンス関係を、ほぼ全て網羅したんだという。
すげえ。すげえ労作だ。まだ読んでないけど(つうか「読む」モノじゃないけど)、労作に決まってる。ナニ1575円? 安い安い。即購入だ!
「それポン」購入者には案内が行ってるハズだけど、そうじゃない人も、この際「それポン」と併せて買っちゃえばいいと思うよ。
tsurumy at 23:43 | リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年09月21日
携帯ゲーム企画のコト
そういえば「風のリグレット」って、
携帯ゲーム機とか携帯電話とか、
iPodとかに移植されてたりしないの?
(ま、携帯電話だとデータを持てないか)
別に、遊びたいワケじゃないけどさ。
いやむしろ、風のリグレットは積極的に拒否(笑
でも、あの手のゲームを、今まさに、遊びたい。
あれほど、携帯に向いたモノって無いよね?
画面無しの、音だけのゲーム。
画面を見るのはもう疲れた。
目をつぶったまま遊びたい。
満員電車の中でも遊びたい。
ベッドで寝しなに遊びたい。
画面を見なくてもいいんだったら、
生活の色んな隙間に入り込めるワケだからさ。
こんなに携帯機に向いたモノってのも無いと思うワケよ。
逆に云えば、あれを据え置き機で出したのが
そもそも大きな間違いだって話ではあるけれど。
「ユーザーが面白そうに遊んでいる『絵』が見えないゲーム」
が失敗するなんて、
鶴見がアーケードゲームを作っていたはるか昔から、
議論の余地なく、当たり前のコトなんだからさ。
※だからゲーム制作者は
※ロケテストやフォーカステストを
※ウォッチしなければならないのであるよ
音だけのゲーム。
ドラマCDの価格帯で作れば、上手くいきそうな気が。
「聴くやるドラ」とか作れそうな。
あ、実はシューティングゲーム的なモノも作れそうな。
なーんだ、まだまだ色々出来るじゃん。
tsurumy at 00:04 | リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
2006年07月21日
脳はダマされやすいぞ!なコト
ちょっとしたイリュージョンをお見せしよう!
〉〉〉まずはココをクリック!〈〈〈(※要JavaScript)
ウィンドウがポップアップして、画像が出るハズだ。画像の上にマウスカーソルを乗せると切り替わってしまうから、この段階ではちょっと離しておこう。
んで、次の手順を踏んでみるべし。
- まず、中心の黒丸を30秒以上見つめる
- 黒丸を見つめたまま、マウスカーソルを画像に乗せる
- しばらくしてから、眼球をちょっと動かす
いかがかな?
大半の人間には、2枚目の白黒画像がカラーに見えたハズだ。しかも、最後に眼球を動かすまではその状態が続いたと思う。
よく知られた話ではあるけれど(うろ覚えだけど)、網膜には色を検知する細胞と、明るさのみを検知する細胞とが混在している。そしてこの錯覚は、色を検知する細胞のリフレッシュサイクル…その隙を突いたモノなのだろう。ひょっとして、脳の問題じゃなくて、眼の細胞の問題なのかもしれない(タイトルは「脳はダマされやすいぞ!」なんだけどね)。
元ネタは、johnsadowski.com。リンク先にはPhotoshopによる制作法(英文)も載っているんで、試してみると面白いかも。出来る限り彩度の高い画像でやるのがコツだ。
念の為書いておくと、同じ画像をコピーして、1枚は「イメージ>色調補正>彩度を下げる」、もう1枚は50%グレーを描画色にしておいてから「編集>塗りつぶし(描画モード:輝度)」→「イメージ>色調補正>階調の反転」とするだけだ。
ちなみに鶴見が使った画像は、前乗ってた車で富士スピードウェイを走った際のモノ。もうちょっと晴れた日の画像を使った方が良かったかなあ…。
tsurumy at 03:08 | リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
2006年07月14日
オンライン・コミュニティ/サービスと社会、のコト
発熱地帯経由で読んだのだが、IT系のいわゆる「コンサル(コンサルタント)」な方が、大ヒットソフト「どうぶつの森」にビジネスチャンスの匂いを感じた、みたいなコトを書いている。
一口に云えば、小学生女子からOLまでをユーザー層に抱え込む「どうぶつの森」を核にSNSを立ち上げれば、mixiに匹敵する凄えモノが出来そうですよーカネの匂いがぷんぷんしますよー任天堂さんアニメなんか作ってる場合じゃないですよー、といったような内容だ。
こうしたコンサル的物云いに強い不快感を抱かずにはいられない。
いやね、ビジネスチャンスを嗅ぎつけるのはいいワケよ。むしろドンドンおやんなさい。別に「ビデオゲームは古典的ビデオゲームであるべきだ、IT系(笑)の流行に擦り寄るとは何事ぞッ!」とか思ってるワケでもないし、ヒット商品の周辺にはそういう話もあって当然だと思うワケだし。ゲームとて時代の子、世間の潮流と軌を一にしなければ未来はないんだから。
ただね、近年、インターネット上のコミュニティと、社会という既存のコミュニティとの齟齬が問題になりまくってるワケじゃない。2ちゃん、出会い系、ネットゲー引きこもり、オークション詐欺、Winnyによる情報流出、etc…。
今、様々なオンライン・コミュティ/サービスは、いかに社会に溶け込んでゆくかを模索している最中なのだと思う。アマゾンとかの純粋サービスはいち早く溶け込んだ。Winnyは国策捜査で潰された。YouTubeは無法地帯(笑)。じゃあゲームは? ――少なくとも、小学生女子とOLとを一緒くたにして巻き込めるオンライン・コミュニティ/サービスが成立し得るほどの社会状況――いわゆる「リテラシー」やら「社会的位置付け」が成熟しているとは、とても思えない。たとえ商売として成立したとしても、事件が起きまくって後に禍根を残すコト必至だ(これはもう、確信を持ってそう云える)。先のコンサル氏は「企業の寿命30年の壁を越えるための成長戦略支援を行っている『百年コンサルタント』を創業」した方なのだそうだが、そんな近視眼的な手近のカネ儲け重視の姿勢じゃ、企業は百年保たないヨ?
そうした大局的見地からすれば、任天堂のWiFi対応の戦術は、カルティベーションが重視された素晴らしいやり方なワケだし、今現在に限って云えば、下手にオンライン・コミュニティなどに手を出すより、アニメなどで非ゲーム層にキャラクターと世界観を広める方が、将来的にはよほど大きな実りを手にするコトが出来るだろう。そもそも、どうぶつの森でSNSとか開いちゃったら、Wii版が成立しないって。
思うに。
さんざん書いているコトだけれど、ビデオゲームはその魅力の根拠を脳の活動においている(と断言しても良いだろう)のだからして、社会からの生理的な拒否反応を受けやすい宿命にある。これはビデオゲームならではの特殊性だ。しかも今は明らかに、十年前のような「家庭vsゲーム」という構図だけでなく、「社会vsゲーム」を考えなければならないフェイズにある(ココちょっと誤解招きそうな表現だなあ…例えるならつまり「インベーダーブーム」は社会問題にもなったけど、でもアレはやはり「家庭vsゲーム」問題に過ぎなかった、とかそういうコトね)。そうした立ち位置を十分理解した上で「今」の潮流に乗ったビジネスは、ビデオゲームというモノを、より一段の高みに乗せるだろうけれど…考慮しない浅いビジネスは、ゲームの将来に禍根を残すだろう。
――つうかね。
もうなんか、ウンザリなワケですよ。面白いモノっていったら、DAMのランキングバトルとかMJとか三国志対戦とか、今のインフラを利用してはいるけれど、アイデア自体は昔からあったモノばかり。別に否定してるワケじゃないよ。これらは、今のオンライン「ゲーム」の立ち位置ってモノをよくわかってる。んでもって面白い。でも残りは、どうでもいいような愚にもつかない、ユーザーを衰弱させてカネに変換するコトを目論んでるようなオンラインゲーム(とされるモノ)ばかり。鶴見に云わせれば、反社会的な「パブリック・エネミー・ナンバー1」、そんなのが、うたかたのように浮かんでは消えて浮かんでは消えてる。
ユーザーを衰弱させるサービスっていったい何なんだ。コミュニティの囲い込みと云えば聞こえはいいが、「ユーザーの依存」に依存しているモノばかりが目に付いて、腹立たしいコトこの上ない。
で。
「『ユーザーの依存』への依存」といえば、まず思い浮かぶのがパチンコ業界だ(トートツな話題転換だが、ゲーム業界と社会の関連についての思考実験には、パチンコ業界の観測がとても役立つのである)。例えば、先日の阪大生による母親殺害事件なんぞをみてみよう。この事件には、パチンコ(パチスロ)依存症が深く関わっているらしい。
阪大生母親殺害:殴打後に首を絞める 強い殺意反映か(毎日新聞)
…容疑者がパチンコ依存症に陥っており、母親から注意されてもやめられず、繰り返し注意する母親に対する不満が一気に爆発して殺害に至ったとみている。(中略)容疑者がのめり込んでいたのは、スロット型の「パチスロ」でギャンブル性が強い。パチンコ依存症になるとパチンコをしたい気持ちが抑えられなくなり、多額の借金を抱えたり、人間関係まで壊すケースもある。すべてにパチンコを優先させてしまい、仕事や勉強の意欲がなくなるのも特徴。
このニュースを読んで、ごく普通の人間はどう感じるだろうか?
その嫌悪感こそが、ゲームに対するネガティヴな報道や言論(ゲーム脳とかね)に対して、ゲームをやらない層が感じるモノと同等なのだというコトを、ずーっと子供向けゲームばかりを作り続けてきた鶴見は知っている(いやもう、ホントにそうなんですよ)。
んで、パチンコ・パチスロは、30兆弱の市場規模を誇っているが、それは今回の事件を見ても判るように、「ヘヴィユーザーの依存」に依存してこそ、この金額なワケだ。しかしそれは、社会的な反発をも引き起こす。そんなんでは今の業容を維持できるハズがない。縮小の未来しか視えない。
ならば同様に。
ゲームによるオンライン・コミュニティ/サービスがもし、「いわゆる」オンラインゲーム…というか、「ヘヴィユーザーの依存」に依存するビジネスを選択するのであれば、そこに未来があろうハズはない。XBOX360やPS3の「オンライン」が、現在のオンラインゲームの延長上に作られ、そしてユーザーを囲い込もうとするのだとしたら、さぞかしつまらないモノになりそうな悪寒すらする。
唯一有り得るとしたら、ゲーム単体で完結させるのではなく、ゲームとWEBとで相互補完的にコミュニティを形成する、というやり方か。でもそれなら、わざわざコンソール上でやらなくても、2ちゃん(&まとめサイト)やmixiのコミュニティとYouTubeがあれば十分な気もする。(キーボードすら標準装備されていない)コンソールでコミュニティを形成するメリットって何なんだろ?
なんか、もっと面白そうなコトが出来そうな気はするんだけどねえ。でも、そう思い続けながら早10年(汗)。あーどうしようかねえ。
tsurumy at 16:27 | リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年06月25日
又も綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト[後編]
「さて、休憩前にワタシが唱えた大胆発言、『ゲームと恋愛は似ている』説を解き明かす為に、ここで1冊、ある本を紹介させていただきたいと思います。それは『やる気を生む脳科学』という本です。著書の大木幸介さんという方は、脳生理学の分野では大御所と呼ばれる先生だそうで、なるほど確かにこの本『やる気を生む脳科学』も、深い知識に裏打ちされた、面白くて為になる話が満載です。『やる気』をコントロールする方法など、お子さんをお持ちの親御さんには役に立つ話も多いので、ワタシの話とは関係なく、ぜひお読みいただきたければと思います。実は、ゲームを作る側にとっても役立つ話が多いんですねコレ(笑)。講談社ブルーバックスというシリーズの新書ですから、ちょっとした本屋さんであれば、すぐ見つけるコトが出来るかと思います。
「『やる気を生む脳科学』によれば、人間の脳味噌には『デジタル・コンピュータ的な神経』と『アナログ・コンピュータ的な神経』が混在しているのだそうです。デジタルの方は電気信号を使って『判断・認識』などを受け持ち、一方でアナログの方は化学物質を使って、人間の精神活動を受け持っているんだとか。そして…このアナログ神経の中でも、特に重要な役目を担っているのが『A10神経』――別名『快感神経』と呼ばれるモノです。
「脳生理学的に云うと、『A10神経』=快感神経は、『意欲』や『性愛』『創造力』などの活動と密接に結び付いています。ここ重要なんで覚えておいてください…『意欲』『性愛』『創造力』ですよ。一口に云えば、気持ちいいコトはやる気が出るという、まあ当然のコトですね。でもそれだけじゃありません。今、『創造力』と云いましたが、気持ちのいい時に勉強や仕事なんかがサクサク進むのも、この結び付きのおかげです。脳味噌に快感を感じさせるコトは、脳の健康を保ち――ひいては生活を健康的に営む為にも、必須のコトなのではないかと考えます。
「そういう意味では、『脳を鍛える大人のなんちゃらトレーニング』も、認識力や判断力を鍛えるという以上に、脳に対して定期的に『快感』を与えて、脳味噌を健康に保つという意味合いも大きいのですね。なんとまあ、ゲームだって生活の『役に立つ』ワケですよ。『ゲーム脳』とか主張してるセンセイ、聞いていらっしゃいますか?(嘲笑) まあ厳密に云えば、TVゲームとA10神経が関わっていると証明されたワケではありませんが、ゲームによって快感が生まれるコトには間違いないので、その可能性は極めて高いと云って差し支えないと考えます。
「そして――ここで『恋愛』の話になるんですが、恋愛も、これと同じ脳のシステムによって成立していると考えられています。というより、そもそも恋愛の方が先にあって、TVゲームの方が同じシステムで成立している、といった方が正確ですか。…先ほど『意欲』『性愛』『創造力』と申しましたが、これらは脳内では『視床下部』という場所で連動しているんですね。…気持ちいいコトによって快感神経が活性化し、恋愛対象である相手に対する想い――まあ『性愛』ですね、それがどんどん湧いてくる――この湧いてくる、というのにはもちろん『創造力』が関わっているワケですけど、こうした脳の働きは、連動して起きやすい、それこそが恋愛だろう、というコトです。…なんだかこうして脳の機能としてお話ししちゃいますと、ロマンチックもへったくれもないんですが(笑)。
「ところが――ご存知のように、いいコトばかりじゃないんですね、これは。恋愛をしている時というのは、気分がバラ色なばかりではないコトは、皆さん身に覚えがあるかと思います(笑)。相手への想いが暴走して――本当に『暴走』という言葉がピッタリなほど、気持ちに収まりがつかなくなってしまうコトがありますよね? 相手のコトを想って、想いすぎて、他のコトが何にも手につかない状態。場合によっては、有りもしない浮気を疑って嫉妬に狂ったりもします。これらは、『創造力』が活性化され過ぎて、必要以上に色々なコトを発想してしまうコトによって起きるワケです。もちろん、『それ無しではいられない』というコトになってしまうので、社会生活との両立を阻害する、大きな要因です。
「これは何というか――『依存』ですね。脳味噌の視床下部が活性化したのはいいけれど、そこで生まれた『意欲』が、外部へ向かわずに、同じ対象にだけ向かって『閉じて』いる――他のコトへ向かわずに、それ無しではいられなくなる。それは正しく『依存』です。いやもう、『依存』はいけません、依存は。
「ここ数年、パチンコ依存が社会問題化していますが、あれなんかも同じ構造ですね。まあ同じ構造とは云っても、TVゲームの比ではないほど『依存』を引き起こしやすいのがギャンブルなんですが。例えばギャンブルには、『射幸心』という要素があります。当たるか当たらないか分からない…けれど当たるかもしれない…当たってほしい…そう期待する心のコトですね。ギャンブルは射幸心によって、TVゲームなんか全然比べモノにならないぐらいの強い依存を引き起こしています。
「『射幸心』と『依存』の関係を示す、こんな実験があります。先ほど触れました『オペラント学習』の実験なんですが――スイッチを押すと餌が出てくるような装置を使って、マウスに実験を行ったとお考えください。ただし、マウスを2グループに分けます。片方は『スイッチを押したら必ず餌が出る』装置を使い、もう片方は『スイッチを押したら、餌が出たり出なかったりする』装置を使いました。
「そして、両グループとも、マウスがスイッチを押すコトを学習した後に、今度は、スイッチを押しても餌が出ないように設定を変更したんですが…結果はどうなったと思いますか?――『スイッチを押したら必ず餌が出る』グループのマウスは、餌が出なくなったらスイッチを押すコトをすっぱり止めました。まあ当然ですね。ところが…『スイッチを押したら、餌が出たり出なかったりする』グループのマウスは、餌が出なくなっても、相変わらずスイッチを押してばかりいたんだそうです。きっと、『いつかは餌が出てくれるかもしれない』と期待しながら。
「恋愛も同じですね。スムーズに進む恋愛よりも、困難な恋愛、障害の多い恋愛、上手くいくかどうか分からないモノほど『燃える』ってヤツです。マウスも人間も、同じようなシステムによって『依存』へ陥ってしまうと云っていいでしょう。
「もちろん似た現象は、TVゲームによっても起こり得るワケです。実際ワタシも、とある有名なTVゲームにハマっていた時は、本当にもうそのゲームで頭が一杯でした。寝ても覚めても…目をつむっただけで、そのゲームの画面が目に浮かんだものです。仕事をしていても何をしていても、早く遊びたくてウズウズしていました。仕事も疎かになっていたかもしれません。――その頃の自分を分析すると…主に2つの要素から『依存』状態に陥っていたように思います。
「ひとつは、『長時間遊んでいたコト』。これは問答無用にそうですよね。短時間遊んでいただけでは、それに依存するはずもありません。ただし、その内容を詳しく思い出してみると、『1回に長時間、遊んでいたコト』これがマズかったのではないかと考えます。
「それはどういうコトかと云いますと…ゲームを一度に長時間遊んでいますと、これはもう、徐々に疲れてくるワケです。これは当然ですね。そして、自分では上手くやったつもりなのに、失敗したりする。成功したりもする。これが、ゲームの作り手が意図したモノならば、まあ我々は『過度にハマらないように』『飽きないように』作っているから良いんですけれど、疲れてもなお同じ場所を遊んでいて、『あともう少しで上手くいったのに!』なんてセリフを云っていたら――これはまるで、先ほどの『餌が出たり出なかったりする』マウスの実験と同じです。
「そしてもうひとつあります。『実生活とのリンクの仕方』がマズかったのです。先ほど、快感によって脳味噌の『創造力』が活性化されると申しましたが、じゃあそこで生まれた創造力がどこへ向かうのか…これがゲームの中だけで閉じていたらマズいコトになります。まあ、お子さんがお友達とTVゲームのコトについて喋り合うのは、他の話題も混ざるでしょうから、コミュニケーションの一環として特に問題はありません。しかし、誰とも喋らずにゲームのコトだけを考えていたら、これはあまりよろしくないでしょう。
「あと最近では、インターネットの掲示板などにも注意が必要です。インターネットの世界は玉石混交なので一概には云えませんが――詳しくは説明しませんが、次の言葉だけは覚えておいてください『ゲハ板』『信者』『ワロス』――こんなような言葉を日常生活で使い出したら、閉じこもった世界に依存し始める兆候です。ご注意ください。
「――さて、以上のコトから考えますと、お子さんがTVゲーム依存にならないようにする為には、お父さんお母さんにおかれましては、次のような態度が望ましいのではないかと考えます。
「まず、『長時間遊ばせない』。特に、同じ場所で長時間詰まっていたら、すぐに止めさせる、あるいは休息をとらせるコトは必須です。実はその方が、ゲームが上手くなるんですよ…と、ゲーム制作者が云っていたと、ぜひお子さんに伝えておいてください(笑)。また、もし云うコトを聞かないようであれば、強制的に電源コードを抜くのもアリです。最初はお子さんも文句を云うでしょうけれど、次第に『学習』して、ちゃんと途中経過を記録=セーブする術を覚えるコトは間違いありません。…あ、『記録しておきなさい』なんて云う必要はありませんよ。それを自分で気づかせる楽しみ…『ゲーム性』を奪っちゃいけませんからね(笑)。
「そして、『ゲーム体験を実生活とリンクさせる』これも重要です。具体的には、TVゲームを遊んだ後のお子さんに、ゲームの内容について話をさせるのがいいでしょう。今日はどこまで進んだのか、どこが難しくて、どこが楽しかったのか…ゲームを遊んだ後のお子さんは、先ほど申しましたように『創造力』が高まっているはずなので、いつも以上に親子の会話も弾むのではないかと思います。
「なんにせよ、TVゲームは恋愛と一緒で『反対するほど燃え上がる』類のモノですから、出来る限りオープンにするコトが望ましいのには間違いありません。特に…上の2つの方法を実行する為には、親御さんが、お子さんがTVゲームを遊んでいるところを、常に気にかけている必要があります。自分の部屋ではなく、お茶の間で遊ばせておき、家事の合間に気にかけて、声をかけたり質問したり…たまには一緒に遊んでみるのも良いでしょう。そうすれば、依存などにはなりようがありません。…えー…たまたま…ではありますが…ワタシの手がけているゲームは、お子さんだけでなく親御さんにも楽しめるモノが多いので…ぜひ購入候補にどうぞ(笑)。
「それでは、もう時間も無いようですので、最後に一言だけ云わせてください。――我々は、TVゲームという『娯楽』を作っています。しかし娯楽は、それが面白ければ面白いほど『毒』になる危険性も秘めています。ゲームを毒にしてしまわない為にも、親御さん方におかれましては、TVゲームについての理解を更に一層深めていただければと願う次第です。本日も、ご清聴ありがとうございました」
tsurumy at 11:45 | リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年06月22日
又も綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト[中編]
「えー…皆さんお揃いでしょうか? ――それでは再開致しますが、最初に、休憩前にお話ししたコトを簡単におさらいしておきましょう。
「まず、TVゲームの気持ちよさの元は『脳の学習機能』である――これは、ちゃんと覚えておいて…というか、『学習』しておいていただけましたか?(笑) そして、脳の学習機能は、人間が人間である限り脳味噌に組み込まれているワケですから、TVゲームは年齢に関係なく面白いモノであり、裏を返せば『子供の脳だけを変質させるようなコトはない』、というコトもよろしいでしょうか。そこまでおさらいした上で、いよいよ『TVゲームは子供に悪影響を及ぼし得るのか?』というお話になります。
「さて、TVゲームというのは、云うまでもなく『娯楽』です。先ほどは『学習』と申しましたが、これは生活に役立つ学習とか、いわゆる勉強という意味ではなく、脳にとっての『学習反応』という意味にしか過ぎません。いくらゲームが上手くて…高い得点をあげたり、武器やモンスターを集めたりしても、ごく一部の例外を除いては、実生活では全く得になりませんね。なので、人間として生きていく為には、あくまでも社会生活が『主』で、娯楽は『従』となります。まあ娯楽とはそういうモノですよね。映画だってTVだって漫画だって小説だって、それには変わりがありません。
「では、もし…この社会生活と娯楽との『主従関係』が崩れてしまったら…逆転してしまったら、一体どうなってしまうでしょう? 娯楽に溺れた挙句、社会生活を営まなくなったら――これはもう、説明するまでもなく大問題になります。仕事もせずにTVばかり観ていたら、たちまち生活に困るコトになってしまいますし、部屋から一歩も出ないでインターネットに没頭していたら、それは『引きこもり』です。何にせよ、問題です。
「そもそも娯楽というモノの役目は、生活に活力を与えるコトにあるワケです。『社会生活との両立』が出来てはじめて、プラスの存在価値が生まれる…これはもう社会の常識中の常識だと云って良いと思います。逆に云えば、社会生活と両立出来ない娯楽は、『毒』と同じです。娯楽そのものが毒なのではありません。娯楽との『間違った付き合い方』が毒を生み出すのです。
「ここまで説明すれば、ワタシが『TVゲームは子供に悪影響を及ぼし得る』と云った意味が、お解りいただけたのではないかと思います。つまり、もしお子さんがゲームばかり遊んでいて――ゲームがお子さんの社会生活を過度に侵食してしまったとしたら、それは即ち『悪影響』と呼んでも差し支えないだろう、というコトです。我々ゲームの作り手も、お子さん達がそこまでゲームにのめり込むコトは、まったく望んでいません。
「しかし…『社会生活と両立する』これは大人にとっても案外と難しい。たまたま今、ワールドカップ・サッカーが開催されているワケですが、深夜までTV観戦していると、翌日の仕事がツラくてツラくてたまらない。まさに「毒」です。4年に1度、毒が身体に回ってしまうなんて、まるで流行り病みたいですね(笑)。とは云え、ワールドカップならまだマシです。だって、放送時間は決まっていますし、次のブラジル戦で負ければ終わりですし…いやいや、もちろん終わってほしくはないんですが(笑)、こればっかりは自分でどうこうするワケにはいきません。――ところがTVゲームは、ワールドカップ観戦とは違って…というか他の娯楽と違って、こうした『制限』とか『縛り』が極端に少ないんですね。
「まず基本的に、遊ぶ人間の意志で際限なく遊べてしまいます。この辺り、叱ってもなかなかゲームを止めないお子様をお持ちの方には、お解りいただけるでしょう(笑)。TVや映画などとは違って、終了時間が決まっているワケでもありませんし、漫画や小説などとも違って、大抵のゲームソフトでは、終わりになってもなお、何度でも繰り返し遊べる仕組みになっています。いや実は、これに関しては我々ゲームを作る側にも責任の一端がありまして――TVゲームは娯楽としてはお値段の高い商品なので、元を取っていただくためにも、なるべく長く遊ばせたい、飽きずに何度でも遊ばせたい…そう考えながらゲームを作っているワケなんです。まあ、短時間しか遊べずに、すぐに中古で売られてしまうと、その分の売上げが減ってしまって大変困る、というこちらの内部事情もあったりするんですが…まあそれは聞かなかったコトにしておいてください(笑)。
「そしてもうひとつ、こちらの方が遙かに重要なんですが…TVゲームの面白さは、脳にプログラムされた学習機能――云ってみれば『原始的』『原初的』な機能から生まれるので、面白さそのものが身体に…脳に『染みつきやすい』のです。『思い出しやすい』と云っても良いでしょう。
「例えば、同じように脳にプログラムされた機能に喩えてみれば解りやすいかもしれません。食欲・睡眠欲・性欲を三大欲望なんて云いますが、これらの本能はもちろん『脳にプログラムされたモノ』です。そして、この3つはどれも、気持ちよさを『思い出しやすい』。――ふかふかの布団にくるまって眠る気持ちよさなんて、どんな方でも間違いなく思い出せる『気持ちよさ』じゃありませんか。食欲・性欲については説明するまでもないでしょう。
「もちろん厳密に云えば、これらの『本能に基づく快感』と、TVゲームの『学習機能による快感』とでは、脳味噌の中での反応部分も、重み付けも、随分違うのですが、『気持ちよさを思い出しやすい』という点においては、程度の差こそあれ同じです。そして、気持ちよさを思い出しやすいから…やり続けたい…もう一度またやりたい…こう思いがちなのは、至極当然です。眠りたい…眠り続けたい…美味しい物を食べたい…お腹いっぱい食べたい…ヤリたい…もう一度またヤリたい――って、なんだか猥談になってしまいそうなんで、この辺にしときましょうか(笑)。なんにせよ、TVゲームの面白さは脳に染みつきやすいので、遊ぶ人間は、そのまま遊び続けていたいと強く思ってしまうワケです。
「――ここまでお聞きいただいて、なんだか『子供にTVゲームを止めさせる』コトが、相当困難な、一大事業のような(笑)印象を受けた方もいらっしゃるのじゃないでしょうか。殊に、ご自分ではゲームを遊ばれない方は、想像のしようがなくて、どうすれば良いのかまったく見当がつかないだろうとお察し致します。
「でも実は、『TVゲーム』にまつわる活動というのは、人間の『とある行動』に似ていたりするんですね。ゲームを遊ばれない方も含めて、皆さんが絶対にご存知のはずの『とある行動』に。――人間にプログラムされている現象で、快感を伴い、うまく社会生活と両立すれば薬…活力を与えてくれるけれども、溺れてしまうと毒にもなってしまう『行動』――それは『恋愛』なんです。しかも、プラトニックなモノではなく、身体の関係もアリの『大人の恋愛』ですね。最近では、高校生でも肉体関係のある恋愛が珍しくないそうですから、その辺りを想像していただければ良いでしょう。念の為云っておきますが、これは猥談なんかではありませんよ。
「恋愛についてだったら、ゲームをご存知でない方でも、皆さん間違いなく経験がおありじゃありませんか?(笑) 『TVゲームにハマる構図は、大人の恋愛と似ている』。これは大胆な発言のように聞こえてしまうかもしれませんが、実はそう喩えると、色々なコトが理解しやすくなるんですよ。――では、これから2度目の休憩に入りますので、その後で、この大胆発言を元に、親御さんがTVゲームにハマったお子さんに対してどのように対応すべきか、鶴見の考えをお話しするコトにしましょう」
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2006年06月20日
又も綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト[前編]
「本日もまた、お忙しい中をお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。前回は、子供が何故TVゲームにハマるのか、その理由を『TVゲームは褒める装置だ』というキーワードから説明しましたトコロ、各方面から――特に、ご自分でゲームを遊ばれる方からも、思わぬほどの大きな反響をいただきまして、正直びっくりしています。しかも、そのほとんどが、『あるあるあるあるある!』…ってちょっと古いですね(笑)、まあ『納得した』という反響だったので、安心した次第です。
「あの後で、何人もの親御さんから、ゲームについて色々とご相談いただきました。…ところがですね、その大半が同じ質問ばかりなんですよ。というより、大きく分けて2つだけしかありませんでした。ひとつは、『ゲームは子供に悪影響を及ぼすのではないのか?』というご質問、もうひとつは『子供にゲームをとめさせるには、どうすればよいか?』というご質問でした。…おやおや、本日おいでになっている方々の中にも、うなずいている方が沢山いらっしゃいますね(笑)。この2つはどうやら、世間の親御さんにとっては共通の悩みだとお見受けします。
「実はこの2つ、根っ子が同じトコロにあるんですが――今回はそれについてお話をするコトにしましょう。長くなるかと思いますので、何度か休憩をはさみつつ、たっぷりとお話しさせていただきますので、よろしくお願い致します。
「まず――これはゲームを生業にしている身としては爆弾発言かもしれないんですが――TVゲームが子供に悪影響を及ぼすのかどうかといったら…『悪影響を及ぼし得る』これは間違いないコトだと考えます。
「…お静かに、お静かに! 駄目ですよ、ここまでしか聞かないで、『ゲームは悪影響がある』なんて間違えて覚えて帰っちゃ(笑)。『ゲーム』イコール『悪影響』なのではなく、あくまでも、ゲームは悪影響を及ぼし『得る』なんですから。この『得る』の2文字が重要です。つまり、ゲームは毒になる『可能性がある』というコトなんです。…そしてもちろん、薬にもなる可能性だってあるんです。
「もっと正確に云いますと、『ゲームとは脳に影響を及ぼすモノである』と云って良いかと考えます。…と云いましても、それは悪い影響という意味ではありません。単なる『影響』です。脳に影響を及ぼす力を、『善悪関係なく』持っているというコトです。ここは強調させてください『善悪関係なく』ですよ。
「例えば…ちょっと考えてもみてください。今、大ブームを巻き起こしている『脳を鍛える大人のなんちゃらトレーニング』というゲームがありますよね? あれなんか、脳活動にとても良い影響を与えてくれそうじゃありませんか。あれだってゲームです。しかも『脳に影響を及ぼす』と、堂々と謳っているゲームです。ゲームが脳に及ぼす影響を『悪』と決め付けてしまったら、何かおかしいコトになりませんか?
「念のため申しておきますと、『子供の未発達な脳にだけ悪い影響を与える』なんてコトは、有り得ません。少なくとも、科学的に証明されてはいません。『脳を鍛える大人のなんちゃらトレーニング』だって、『大人の』とは謳っていますが、大人だけでなく、子供が遊んでも『脳を存分に使う楽しさ』を味わえるモノです。実際、ワタシはここ10年ずっと子供向けのゲームを作ってきて、目の前でゲームが遊ばれるのを観察したり、あるいは色々なご意見ご感想をいただいたりしているのですが…お子さんの反応と親御さんの反応というのは、これがもう、驚くほど似通っているんです。特に、普段ゲームをされない親御さんほど、お子さんと同じような反応を返されますね。『子供にだけ悪影響』なんて、ゲームを作っているワタシの実感としては、全く有り得ません。
「世間には『ゲーム脳』だのなんだのと、親御さんの心配をいたずらに煽るような本や意見もあるようですが、ああいったデタラメが堂々と罷り通ってしまうほど、科学的には未開拓なのが現状なんです。ただ、脳科学や発達心理学の分野で既に定説になっている研究を基に推測しますと、ゲームが脳に対する影響力を持っているのは当然だとしても、それを『悪い影響』と決め付けるのは間違いだと云って良いでしょう。
「そもそもTVゲームの面白さの本質、つまり『人間がゲームを面白く感じる』根本は、年齢には関係ないモノなんです。それは、人間なら誰でも持っている機能――脳味噌の『学習』機能そのものなんですね。
「前回、ゲームのコトを、プレイヤーの『判断』に対して褒めたり叱ったりする『褒める装置』という云い方をしましたが、これを専門用語で『オペラント学習』と云います。よく研究室などで、マウスを迷路に入れて、正しい出口にたどり着いたらご褒美に餌を与える、なんて実験をやったりしていますけれど、見たコトはありませんか? あれと同じなんです。
「そしてこの『学習』というヤツは、人間、というか脊椎動物の脳味噌に、最初からプログラムされている『機能快』――快感のひとつなんです。覚えて、使って、成功して、ご褒美を貰えると『気持ちいい』。もちろん褒められるコト自体も気持ちいいんですが、それ以前に、学習が『成功』するコトそのものが気持ちいいんですね、脊椎動物は。…というか『人間』は。人間は、この『学習』という素晴らしい脳味噌のプログラムのおかげで、進歩発展するコトが出来たのですし、もっと云えば、学習という能力のおかげで、人類は環境に適応し、進化し、地球上で万物の霊長たる今の地位を獲得したというワケです。
「…なんだか、人類とか進化とか大げさな話になっちゃいましたが(笑)。まあ、ゲームの気持ちよさの元が『脳味噌の学習』にあるというコトは覚えておいてください。TVゲームの『ゲーム性』は、人間が生まれながらに持っている、脳味噌の機能を使わせていただいている、というコトです。そして何度でも云いますが、これには、大人・子供は関係ありません。子供の脳だけを変質させてしまうなんてコトもありません。
「さて、ここでいよいよ話を戻して――ワタシが先ほど申し上げました爆弾発言『TVゲームは子供に悪影響を及ぼし得る』…悪影響を及ぼす『可能性がある』、これについて詳しく説明するコトにしたいのですが…その前に、ちょっと休憩を入れたいと思います。その後には、いよいよ本日の核心部分に進みたいと思いますので、それまで、おトイレおタバコお飲み物などで、脳味噌を十分リラックスさせておいてください。――ではしばらく休憩に致します」
tsurumy at 20:22 | リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年06月18日
「レーティングABCのうた」のコト
というワケで、また歌を作っちまっただよわはは。
以前、「CEROに任せろ」(MP3, 848KB) というCMソングを、なんだか勢いに任せて作っちゃったりしたけれど、今度も例によって勢いだけで作っちまった。――まあ「作った」っていうか何というか、実は単なる替え歌で、元ネタは「バスト占いのうた」なんだけどね。
これで、新レーティング制度の認知が高まれば…って無理か(笑
【追記】
ボツにしたアイデア
見たかキミは(キミは)
レーティングZ
聞いたかキミは(キミは)
レーティングZ!
グロいんだ
エロいんだ
スゴいんだ
ヤバいんだ
(語り)
だがキミは知っているか?
報道番組の方が遙かにグロい事を
だがキミは知っているか?
バラエティの方が遙かにエロい事を
キミは知っているか知っているのか
映画にアニメに漫画に小説
大人向け娯楽は多かれ少なかれ
どれもエロくてグロい事に
レーティーングZ!
tsurumy at 21:59 | リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年06月14日
残虐ゲーム問題ほぼ一周年のコト
ちょうど昨年の今頃――正確には5月30日に、神奈川県が「グラン・セフト・オート」を(いわゆる)残虐ゲームとして有害図書類に指定し、青少年への販売を禁じたのであった(→「頑張れCERO!」のコト)。
あれから1年。状況はどうなったのだろう。良くなったのか、それとも悪くなったのか。
もちろん大きく好転した…と思いたい。
レーティングに関する議論はこの1年で急速に進み、記念すべき初有害図書類指定からほぼ一周年にあたる5月31日、18歳以上のみを対象とした「Z区分」を含む新レーティング制度がスタートした。これは、一部メディアで報じられている通りだ(一例としてITmediaを挙げておく)。

鶴見は以前、「CEROさん! 『成人向け』レーティングをぜひ設定してください!」と書いたコトがあった(→ゲームも有害図書指定されちゃうコト)。書いたのは、神奈川県が一部のゲームを有害図書指定しようとする方針を明らかにした直後だったかな。なんとなれば、『成人向け』レーティングが設定されて周知のモノとなれば、それ以外のゲームが不当に「有害図書指定」されるコトはないだろう、と考えたからだ。
そして現実もまた、鶴見がかつて願ったように進みつつある。
ならばこれで一安心…なのだろうか?
今後も取り組んでいかなければならないことは存在する。1つはこのシステムが周知徹底されること
――和田洋一CESA会長は、「テレビゲームと子どもに関する協議会」の席上でこう云う。そうだその通りだ。規制しようとしている方々には当然知って貰わなければならないし、運用する流通の側にも知って貰わなければならない。
だがなんといっても、ゲームを購入する消費者にこそ知って識って理解して貰わなければならないのではないか。そう考えると、CERO/CESAの活動はやっぱり圧倒的決定的致命的なまでに「足りない」ように思えてしまう。
ユーザーに対しての啓発が。
まず、上に掲載したレーティング表示と、以前のレーティング表示とを比べてほしい。

これ、どう考えても昔の「数字表示」の方が、判りやすいんじゃね?
いや、内部の事情とか議論については想像できるのだわさ。今回問題になっている「18歳以上のみ対象」というレーティングのみ、他の「推奨年齢」レーティングとは成り立ちも意味合いも異なっているワケだし、それを「Z区分」と、特殊なアイコンで特別扱いするのは「アリ」だ。
でも、「Z」という記号を導入する為に、他も同様に「A~D」と記号化しちゃうってのは…整合性は取れるのかも知らんが、分かりやすさを落としちゃイカンだろ。
あるいは、記号性を高めつつ、それ相応の「刷り込み」を行うのならばOKだ。もちろん、消費者に対して。何かを学習させる方法はゲーム業界の得意とするトコロなのではないか。ちゃんとした露出計画の下、適正な露出(新聞とか雑誌とかTVコマーシャルとか)を図れば、間違いなく出来る。逆に云えば、それ無しでレーティング表記のみを替えても、片手落ちというものだ。それでは、自治体などの「お上」に対する言い訳・アリバイに過ぎない。やっぱり――
ユーザーへのアピールが足りん!
とまあ、鶴見はそう思っちゃうワケだ。
何度でも書く。
CEROの事業内容として、ゲームソフトの年齢別レーティング制度普及啓発事業と謳われているんだから、もっともっと普及啓発を行わなければならんよなあ。新聞広告とか雑誌広告とか、「JAROって何じゃろ?」に倣って、「CEROにまかセロ!」なCMとか。ダメですかそうですか。(→「誤解されてるなあCERO…」のコト)
以前、鶴見は「CEROに任せろ」というCMソングを、なんだか勢いで作っちゃったりしたのだが(→「CEROに任セロ!」なCMソングのコト)、今度はヒマを見つけて、「A・B・C・D…Z」をテーマにしたCMソングでも作ってやろうかと思っている。
それぐらいやらなきゃダメだよ。
業界の人間は、ビデオゲームの社会的地位は思いの外、低いというコトを肝に銘じて、それなり方策を採らにゃイカン、と思う。
《蛇足》
SCEJは、大傑作ゲーム「God of War」(SCEA)も、「the Getaway」(SCEE)も、自社では発売しなかった(前者はカプコン、後者はセガから発売)。プラットフォーム・ホルダーSCEIのファーストパーティとして、君子危うきに近寄らずな態度を取ったのであろうか。この腰の引けっぷりが、彼我の社会的地位の差を端的に示しているように思える。プラットフォーム・ホルダー自ら、社会に切り込んでいく態度が望まれる。つうか鶴見はぜひ望む。頼むよ。
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2006年04月01日
2006年03月19日
これってガイシュツ?な萌えネタのコト
今日、とある漫画家さんや編集者さん達と飲んだ際に、自分の中で「どうせ既出だろ」とお蔵入りさせていた萌えネタを披露したら、あにはからんや、誰からも「既出」との指摘が無かった。 mixiの日記でも「これって既出?」と訊いている最中なんだけれど、念の為、こっちでも訊いておこう。
それは「少女国会議員」。
杉村太蔵議員を、女のコ…というか、ドジっ娘に変換してみたと思いなせい。
比例代表制&超法規的措置のために、なんだか突然、国会議員になってしまったフツーのコ。突然TV的に有名になってしまった可愛いコ。国政のコトなんか何も分からないもんだから、フツーの女のコの感覚で放言を繰り返し、アンチ/シンパを巻き込んで世論大沸騰。
杉村だと腹立たしいが、これが可愛い女のコだったら共感出来よう。少なくとも「片山さつきたん(はぁと)」とか云うよりは健全な気がする。それともギャップがない分ダメなのか? 荒唐無稽さでお釣りが来そうな気もするが。彼氏が国会議員な少女漫画はあったような気はするけれど、少なくとも、今の世情がそういうフィクションを求めていると、鶴見は確信している。「クニミツの政」も面白かったし、ね。「票田のトラクター」みたいに虚実織り交ぜて書いたら、ホント面白いと思う。関係ないけど、「内閣総理大臣・織田信長」もう一度読みたいなあ。
このネタって、既出じゃないの? 誰か教えて。なきゃ、書くよ。
tsurumy at 22:41 | リンク | コメント (3) | トラックバック (1)
2006年03月12日
「ゲーム性」を退化させる国家の策謀のコト
後学の為にパチンコ/パチスロの「ゲーム性」について熟考中の鶴見であるが、最近のパチ業界の状況を眺めていると、まあ何というか、考えさせられるコトが非常に多い。
「依存」は「魅力」の裏返し。ギャンブルは、射幸性こそが魅力であり、根本価値だ。「魅力」自体に善悪はなく、善悪の意味づけは環境によって生み出される。
日本では、パチンコ/パチスロは「ギャンブルではない」庶民の健全な娯楽だという。いくら諸外国のギャンブル産業と比肩しうる30兆円もの総売上を誇っていても、ギャンブルではないと強弁されている。ちなみに強弁しているのは、監督官庁にしてパチンコ業界の寄生虫とも揶揄される警察庁。
建前として「ギャンブルではない」のだからして、魅力の中心を為すはずの「射幸性」は、あたかも鬼子扱いだ。風適法の表現でも「客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」とされている。何が「おそれ」だよ。「著しく射幸心をそそる」コトの無いように監督してはいるけど、客が勝手にハマっちゃうかもしれないよ…そういうコトにしておきたいらしい。建前がスケスケの、まったくもってフザケた表現だ。
実際、パチが原因の「家庭崩壊」「借金地獄」等が社会問題になる度に、「自主規制」なる建前の監督官庁の指導が入り、射幸心を過度に煽る仕様は削られていっている。結果、射幸性の高い機械は徐々に姿を消しつつある。パチスロは「5号機」という、マイルドな波の(大負け/大勝ちしない)規格に移行しつつある。
アホか。
魅力を増すべく=射幸心を煽るべく、せっかく進化してきた射幸性(ゲーム性)を、退化させようとするお上の規制。仮にビデオゲーム業界で、「ゲームを面白くしてはいけない」という指導が監督官庁から入ったらどうなるか? 「ドラクエは強盗を引き起こすから、もっとつまらなくしろ」「メインCPUは十年前の技術で作られた官製の物に限定する」「ステージ中のパワーアップには制限を設ける」「連射速度は秒間10発まで」「1UP禁止」、等々。ナンセンスにも程がある…が、それをやっているのがパチ業界なのだ。
問題が「射幸性」ではなく、パチにかかる金額が「レジャー」の範疇を越えているコトにあるのは明々白々だ。例えば、1日12時間で最大どれだけ負けるコトが出来るか試算してみよう。
- パチンコ:1分100発(1玉4円) → 28万8千円
- パチスロ:4.1秒3枚(1枚20円) → 63万2千円
まあこれは極端な計算で、実際には出玉のあるミニ当たりがちょこちょことはさまるので、パチンコの場合は3分/千円=1日24万円、パチスロの場合は30ゲーム/千円=1日35万円ぐらいになる。最大値とはいえ、これほどの大金を投じるコトの出来る「ギャンブル」なので、今のパチンコ屋で5~6万負ける人間などザラだ(鶴見も最大で1日8万負けたコトがある…汗)。ちなみに少々古いデータだが、2002年に日本遊技関連事業協会(日遊協)が行ったアンケートによれば、客の投資限度額の平均は3万4206円だという。豪勢な温泉旅行に行ってもお釣りが来る。パチンコ/パチスロをやらない人間からしてみれば、何故それほど費やすのか理解できないコトだろう。
何故なのか? それはもちろん、それ以上に取り戻せる可能性があるからだ。
パチスロでは「万枚」という大勝ちの基準となる言葉がある。メダルを1万枚出すコトを云い、等価交換なら実に20万円もの勝ちを意味する。しかもこれは、宝くじみたいな夢物語ではなく、ちょっと気の利いた店なら毎日のように起きている、手が届きそうな場所に見えているリアルな夢なのだ。なんだか、真面目に働くのがバカらしくなっちゃうような金額だ。
かくして、1日に20万円勝てる(可能性のある)賭博場には、真面目に働くのがバカらしいと考える若゛者が集うコトとなる。いわゆる「パチプー」というヤツだ。繁盛しているパチンコ店へ午前9時半あたりに行くといい。ラフな格好に、浜崎あゆみチックなサングラスをかけ、帽子を被っている若゛者達が列をなしているのを見るコトが出来るだろう。サングラスは、光の点滅を一日中見つめ続けても眼を痛めない為。帽子は、早朝起き抜けすぐに髪をまとめるヒマもなく、パチンコ屋に急いで来た為。そう、彼(彼女)らこそが、パチプーだ。
パチプーは、ここ10年で一気に増殖した。例えばここ10年の「レジャー白書」を眺めると、パチンコ関連の参加人口は3分の2になっているのに、総売上は1割も減っていない。即ち、1人当たりの投入額が増加しているというコトだ(まあ、2004→2005では若干減少したが)。また、パチ業界によるアンケートでも「ライトファンは減少/ヘビーファンは増加」と書かれている。全体的な傾向として、パチプーが増え、一般客が減ったというワケだ。身も蓋もない表現をすれば、パチンコ屋はパチプーの巣窟になってしまったのだ。
ところでパチというギャンブルは、微視的に見ればプレイヤー対ハウス(店)であり「客が店から幾ら分捕れるか」という勝負なのだが、巨視的に見れば実はプレイヤー対プレイヤーという要素を内包している。
これがカジノならば、ハウス側のコミッション(いわゆる寺銭)の割合はゲームの種類によって確率的に決まっている。例えばルーレットならば、どのテーブルで賭けようとも変わらず、5.3%の期待値で店が儲かるようなルールとなっている(プレイヤーが1000ドル賭けた際の配当の期待値が947ドル)。もちろん、これは確率における期待値の話だから、運次第で客が大勝ちするコトは当然ある。だが、長期的に見れば「大数の法則」により、店は儲けを出すコトが出来るのだ。そしてプレイヤー側からすれば、相手は店…というより「確率」そのものなので、他の客がプロだろうがイカサマゴト師だろうが関係なく、素人でもカジノを相手に運試しを楽しめる。
ところがパチにおいては、店は釘調整(パチンコ)や設定(パチスロ)によって、出る台(出やすい台)と出ない台(出にくい台)とを配し、総体として、売上げに対して客にどれだけ還元するか(「割数」という)をある程度コントロールしている。つまり、店が総売上金額からコミッション(利益・設備費・サービス費)を戴き、残りを客同士で奪い合っていると云ってよい。
そう、一口に云えば、パチプーが勝てば勝つほどライトファンが割を食って負ける構造なのだ。
出やすい台をパチプーが朝から晩まで占拠してしまえば、ライトファンが勝てる道理はない。ライトファンの足はいよいよ遠のき、パチンコ屋の経営はヘビーファンに依存してゆかざるを得ない。そんな業界には、今のままでは未来はない。
じゃあどうすればよいのか。
そんなコト、門外漢の鶴見にだって分かる。パチにかかる金額を「レジャー」の範疇に収めればよいのだ。貸し玉/貸しメダル料金を10分の1程度にすれば、よっぽどツカンポな人間が1日負けたとしても2万円。実際にはそれより少額でお腹いっぱい「遊ぶ」コトが出来るだろう。それでこそ、庶民の娯楽に相応しい。
あるいは4分の1程度でもいい。「それじゃあ食えない」パチプーを駆除するコトが目的だ。パチプーさえいなければ、相対的にライトファンを呼び込むコトも出来るだろう。その為には、換金出来ない(特殊景品ナシ)の店ってのでも良いかもしれない…つうか、昔のパチンコ屋って、そんな感じじゃなかったっけ?
もちろんこれは、パチンコ業界の規模縮小を意味するので、云うのは易く行うは難い。殊に、30兆円にブラ下がっておこぼれにありついている「寄生虫」が、そんな構造改革を許すとは思えない。官僚が、省利省益を減らすコトに対して最大限の抵抗を示すのは周知の通りであり、例え、多くの人生を破壊した上での「30兆円」であったとしても、そうした本質には知らぬ顔の半兵衛をきめこんで、「射幸性こそ元凶」とばかりに、ゲーム性を規制し続けるコトだろう。
4分の1でも「7兆円産業」、十分大きい規模なのにね。ライトファンが増えれば、将来にわたって「食える」コトになるのにね。それで社会現象を回避出来てイメージアップが図れるのなら、万々歳だと思うんだけどね。パチプーを駆除して労働力に転換出来れば、国力も上がるのにね。
ああ、人民は弱く、官吏は強し。あとPSE法は絶対反対。
tsurumy at 23:29 | リンク | コメント (10) | トラックバック (0)
2006年02月21日
セガから「クラッシュ・バンディクー」は出ないかも?なコト
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パチスロ「クラッシュ・バンディクー」のシミュレータがセガから発売されるかも!?と思って気にかけていたのだが、一向に発表される気配がない。その上、後からリリースされるパチスロ「俺の空」のシミュレータが、3月に発売になると発表されてしまった。
推測だが、権利元のユニバーサルとの契約上、クラッシュのパチスロ・シミュレータは出せないというコトなのだろう。まったくザンネンだ。
前回のエントリーでもチラッと書いたが、「クラッシュ・バンディクー」というタイトルは、マーク・サーニーがユニバーサル・インタラクティヴ・スタジオ(当時)に在籍していた時に、制作会社ノーティ・ドッグを見出して、制作をスタートさせたモノだ。
当時のコトを思い出すと感慨深い。ロス・アンゼルスはユニバーサル・スタジオの麓に位置する、旧テキサコ・ビルの一角で細々と開発していたあの頃。しばらくしてから、インソムニアックの面々が隣りの部屋で、「ピート」という名のアクションゲームを作り始めたんだったっけ。それは後に、「スパイロ・ザ・ドラゴン」となるんだけど、それはまだまだ先の話。
マーク以外のユニバーサルの人間は、ゲームソフトのプロジェクトにはそれほど力を入れていなかったように見えた。立ち上げこそユニバーサルの予算で行われたが、後の制作費は全てSCE持ちだったし、巨額のマーケティング予算もSCE。おまけに、それらに関わるクリエイティヴも全部が全部、ノーティ・ドッグとマーク、そしてSCEのメンバーでやっていた。クラッシュ・バンディクーとユニバーサルの関わりは、単にマークがユニバーサルに所属しているというその1点だけだった。
クラッシュは世界的な大ヒットなり、続編を重ねた。
そこから徐々に、皆んなが息苦しさを感じ始めたように思う。クラッシュの売上げが、ユニバーサルの事業計画の一角を、無視できない大きさで占め始めたために、「美味しい話」だと認識されるようになったのだろう。マーク以外のユニバーサルの担当者が、金も知恵も出さない割に口を出し始めた。そのくせ、担当者は引き継ぎもせずにコロコロと辞めやがる。責任も一貫性もあったもんじゃない。
一時期は、SCEがクラッシュ・バンディクーの版権をユニバーサルから買い取るという話も進んでいたと思う。だが、ユニバーサルがとんでもない巨額を提示してきた為に、ご破算になったはずだ。上述のように、ユニバーサルは金銭面でも創造面でもほとんど貢献していなかったけれど、さすがに金の卵を産むニワトリを簡単に手放しはしない。
そして、ノーティ・ドッグとマーク、SCEは決断した。ユニバーサルから離れよう、と。
「クラッシュ・バンディクー・レーシング(Crash Team Racing)」を最後に、ノーティ・ドッグはクラッシュから手を引いた。マークはユニバーサルを辞めてサーニーゲームズを設立し、「クラッシュ・バンディクー・カーニバル(Crash Bash)」をEUROCOMに作らせたのを最後にクラッシュから手を引いた。ユニバーサルを除いた、まったく同じメンバーで、新しいゲームを創り始めるコトにしたのだ。
ユニバーサルには…コアメンバーも居なければ、ゲームを作るノウハウも無く、ましてやクラッシュ・バンディクーが何故ヒットしたのか――クラッシュをクラッシュたらしめている要素についての正確な認識は無かったのではないかと思う。ただ、クラッシュ・バンディクーの成功は世界中の制作者の間では有名だったから、クラッシュの続編を作りたがる制作会社を見つけるのは容易かったはずだ。かろうじてクラッシュの名を冠した製品は出来上がってきた。それがクラッシュ4だ。
日本では、コナミがユニバーサルと業務提携して、クラッシュ4をリリースするコトになった(きっと、ブルース・リーやらユニバーサル・モンスターズやら、いくつかのゲームと抱き合わせで扱うコトになったのだろう)。版権は全てユニバーサルのモノなので、SCEで大枚はたいて制作した着ぐるみやら画像データやら一切合切は全て、ユニバーサル経由でコナミに譲り渡した…鶴見がディレクションした図版が(色調整をミスった部分も含めて)未だに使われているのを見て、なんとも微笑ましい気持ちになってしまうコトもあったし…幾度ものユーザーテストを経て日本市場の為に変えた部分が、全く有効に活用されていない例を見つけて、気落ちしたりもした。
鶴見が日本市場向けに創り出したモノ一式は全部渡したのだが、その底に流れる日本向けのコア・コンセプトを渡すコトは出来たかどうか。鶴見は、海外ソフトを日本市場において成功させるには、日本からのクリエイティヴ提案が必要不可欠だとの持論を持っているのだが(その必要性は、クラッシュで証明されているのだが)、そうした提案が為された形跡は無い。あるいは、米ユニバーサルの「なにやらの壁」を突破するコトが出来なかったのだろう。
結果、クラッシュ・バンディクーのフランチャイズは、日本ではすっかり盛り下がってしまった。
SCEがクラッシュから手を引いた直後には、「コナミに身売りした」だの「コナミが金にモノを云わせて買い取った」だの、様々な流言が飛び交ったが、真実は斯くの如し。パチスロのクラッシュを見て、ふと思い出したので記してみた。今やクラッシュは余所の子だし、余所の子が没落しようが苦界に身を落とそうが、アッシには関わりの無いコトでござんすではあるのだけれど、何か釈然としない気持ちが、今も残る鶴見ではある。
暑かったよね、あの夏。
tsurumy at 01:40 | リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年02月06日
セガから「クラッシュ・バンディクー」が出るかも?なコト

「クラッシュ・バンディクー」とは云うまでもなく、マーク・サーニーがユニバーサル・インタラクティヴ・スタジオ副社長だった頃に、Naughty Dogとともに生み出したあの「オレンジ色のニクい奴」のコトだ。鶴見は日本での育ての親としてそれなりに奮闘し、今の仕事の基礎を固めるコトが出来た、まあ恩人のようなキャラクターだ。
そんなクラッシュ・バンディクーがパチスロになったという。発売元はサミー。今週からホールに順次導入だと聞く。
――ちょっと待った。とすると、「北斗の拳」や「アラジン2エボリューション」と同様に、「実戦パチスロ必勝法!」シリーズとして、PS2/PSP/NDS版がセガから発売になる公算が高いってコトか? ううむ、何とも不思議な巡り合わせであるなあ。
奴の数奇な運命については、世間で色々と誤解されているようなので、後でざっと記しておくコトにしよう(とりあえず今日は早く寝て、明日のスーパーボウルに備えねば! 頑張れピッツバーグ!)。
tsurumy at 00:34 | リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年02月01日
嘘六百一周年のコト
59 :嘘つき名無しさん:05/02/02 06:00:00 ID:0600design
俺のブログは歴史が長いぜ
60 :嘘つき名無しさん:05/02/02 06:00:02 ID:EntryNo211
>59
どれだけ続けてるってんだよ?
61 :嘘つき名無しさん:05/02/02 06:01:25 ID:0600design
>601年も続けてるぜ
62 :嘘つき名無しさん:05/02/02 06:01:53 ID:Accs213401
>61 テラナガスwww
というワケで、嘘六百一周年。2005年の2月1日に開設した当ブログ「嘘六百」も、おかげさまで一周年を迎えるコトが出来た。2年目も、本業では声高に叫べないコトどもを、アナーキーにアドリブで書き連ねていくので、皆様ひとつよろしうに。
tsurumy at 00:00 | リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
2006年01月31日
制作者が流通に逆らうのは得策でないという大人的判断のコト
いまだ傷癒えぬアパシー気味な鶴見ではあるが、一晩に8千人以上もの人間が忍之閻魔帳から雪崩れ込んで来ているとあっては、何らかの意見を表明せねば礼を失するというモノだろう。とは云え、鶴見も不毛な遣り取りをのんべんだらりんと続けるのは好まないので、忍氏に倣い、このエントリーを最後にするコトを宣言しつつ、ちゃちゃっと手短に書くコトにしよう(気力も無いし)。
まず、鶴見は忍氏が『バイトヘル』を未プレイだとみていたが、それは誤りだったらしい。忍氏は十二分に遊んだ上で、「中身はともかく、こりゃ売れないだろ。ホラ売れなかっただろ」(鶴見意訳)と書かれていたワケだ。その意味では、鶴見が「(忍氏は流通関係者として)本道に悖る」と非難したのは、言いがかりだと思われても仕方あるまい。素直にお詫びする。
実際、忍氏の最新のエントリーと共に読み返してみると構図が良く解るのだが、鶴見は忍氏を目利きの流通関係者と認定した上で「目利きだったら『バイトヘル』をマンセーしてもっと売りやがれ!」と強制しているに等しい。その振る舞いは、まさに「信者」のそれだ。ああ、先日の「萌え」に引き続き、この歳になって「信者」属性まで開拓してしまうとは…。もちろん、ゲハ板@2ちゃんねるを眺めても分かるように、信者の声が一般に届くコトは無い。虚空に吸い込まれるだけ、だ。
なんかね、鶴見は勝手に思いこんでたワケだ。「白い犬のワルツ」あたりで、書店員のオススメPOPがムーブメントを起こしたように(アレはHMVとかタワーレコードが元祖なのかな?)、目利きの現場の方に、手に取った時の面白さを伝えてもらえるんじゃないか、と。
でも実際は、自ら『バイトヘル』を購入(そして不満点はあれど中身は丁寧に作られているという評価まで)している忍氏をして、
私は、「埋もれさせるには惜しい」と感じたソフトは極力紹介するようにしている。(中略)「バイトヘル2000」は、ハナから売れることを投げているように思えたので紹介しなかった。
と、諦めモードに入らせてしまっている。やっぱり、メーカー/パブリッシャーは、流通関係の方に「強力な武器(商材)を渡している」ように確信させねばならんのだなあ、と、改めて気付かされた次第(もちろん、我々制作に関わる人間は、PR/マーケティングの人間に対して同様に「強力な武器(ゲーム素材)を渡している」ように思わせねばならない――というのは実は、この業界で尊敬する上司2人のうちの1人が云った言葉)。
最後に一つだけ蛇足。
鶴見氏は「バイトヘル2000」のプロデューサーとも懇意にしておられるようだが、私のような者に噛み付いたところで、後に残るのは、身内擁護という「カッコ悪さ」だけだと思うのだが。
鶴見は何にでも噛みつく反面、何でも擁護する人種なので、身内擁護というのはチト的外れだ。まあ、そう見える、というコトなんだろうけど、ここだけは反論しておく。惚れ込めばX360だって擁護しちゃう鶴見だ(惚れ込んでないからしないけど)。ましてや、約束を忘れてたドロボウヒゲのプロデューサーを擁護するなんて、頼まれたってしたくない(笑)。あくまで『バイトヘル』が好き、それだけだ。
ついでに云えば、カッコ悪さだって気にしない。気にしてたら、こんな人は生まれてない(笑)。
【追記】
元のタイトルは『「世にクソゲーは無く、唯マイナーゲームが在るのみ」というコト』だったが、そのタイトルで別エントリーを書く為に、こちらを改題した。
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2006年01月17日
バイトヘルの悲劇のコト
何度か書いているが、鶴見は『バイトヘル2000』に感銘を受けた(ハマってもいる)。ゲームの制作を生業にしている身だからして、ゲームをみる目は人並み以上に肥えていると思う。そんな鶴見が、久々に自信を持って薦められる良ゲームだ。実際、インターネット上での評判を漁っても、悪評はとんと聞こえてこない。むしろ絶賛に近い感想やら、中毒の報告やらが大勢を占めている。
だが売れていない。
いや別に、直接の関係者ではない鶴見にしてみれば、バイトヘルが売れようが売れまいが、全くどうでもいいんだけど。…でも、自分が高く評価しているゲームが売れないというのは、いくら「良いゲームが必ずしも売れるワケではない」という事実を身をもって知っている鶴見にしても、なんとも寂しいコトではある。
良ゲームなのに売れないというのは、マーケティング施策的に何らかの失敗があったというコトに違いあるまい。例えば、有名サイト「忍之閻魔帳」では、発売直後に
CMも投下中の「バイトヘル2000」は予想通り惨敗。
自ら「ハイセンス」を名乗るバカゲーなどバカゲーではない。
と書かれている。筆者の忍氏は流通関係者だと思われるのだが、流通関係者が惨敗を「予想通り」と診ているというコトはつまり、メーカー側が流通側に対して、ゲームのポテンシャルを伝えきれなかったというコトに他ならない。そりゃ確かに売れないわな。ゲームを売るには、(指名買いされるような大御所ならともかく)メーカー・パブリッシャーがいくらCMを打ったとしてもそれだけでは片手落ちで、販売店の協力が不可欠なのだから。マスコミ(CM)+口コミ(販売店や友人の評判)が揃ってはじめて、無名のゲームは売れるのだから。
ところで、『バイトヘル』の面白さ(の本質)と流通関係者の見方には、いったいどれ程の隔たりがあるのだろうか? 「忍之閻魔帳」をもう少し見てみよう。なんとご丁寧にも、忍氏は鶴見が投げかけた疑問に答えてくれているのであった(ありがとうございます)。
私は確かに
「ハイセンスを名乗るバカゲーなどバカゲーではない」とは書いたが、
「バイトヘル」の中身については何も書いていない。
「ハイセンス」という言葉を自らのソフトに冠してしまうセンスを
「カッコ悪い」と言っているだけなのだ。
「グルーヴ地獄V」では堂々と「クソゲー」を名乗っていたのに、
えらく小さくまとまってしまったな、という嘆きでもあったりする。
「天然であることを自覚した天然」のようなものだ。
例え本当にハイセンスに仕上がっていたとしても、
「さらにクソゲーを極めました」と言って出して欲しかったと、
そういうことなのだな。伝わらんか。ううむ。
なるほど納得がいった。忍氏は、『バイトヘル』を『グルーヴ地獄V』のサブセット版(に成り下がってしまったモノ)として捉えているのか。それならば、『バイトヘル』は確かに、カルト性を薄めて一般にすり寄った(オモネった)中途半端な製品のように見えるだろう。これは忍氏に限らず、世間的にもそう思われているのかもしれない。実は鶴見も、実際に遊ぶまではそう思っていた。だが、
全然違う。
強調しておきたいのは、『バイトヘル』はクソゲーではないというコトだ。確かに『グルーヴ地獄』におけるミニゲームは「開き直ったクソゲー」ばかりであったが、『バイトヘル』におけるミニゲームは、相当手を掛けて磨き込まれているモノばかりだ。両者は同じセンスでまとめられてはいるが、総体としては全く異なったコンセプトの作品としてみるのが正しいと思う。これを、『グルーヴ地獄』の続編というだけで「クソゲー」と謳ってしまったら、嘘になる(まあ、戦略的に「クソゲー」を名乗るのはアリだが)。
『バイトヘル』はむしろ――鶴見は「ゲーム性カタログ」と呼んでいるが、ゲームの歴史を彩った名作ゲームのパロディ…の形を借りたオマージュだと云える。製品としての立ち位置は、ゲームボーイ・ミクロ+スーパーマリオブラザーズに近いだろうか。「ああ、俺ってファミコンにハマってた頃、こんな具合に熱中してたんだよなあ」というプレイ感覚だ。当時のゲームよりは遙かに親切なのだが、今のゲームに比べれば不親切…という絶妙なさじ加減も、当時のプレイ感覚を彷彿させる為の仕掛けのひとつであり、熱中する上では全く苦にならない。端的に云って「面白い」。
以上の見方は、鶴見が実際に遊んでみて初めて解ったコトだ。でも、これを遊ばずに理解するのはほぼ不可能だろう。やはり、SCEのマーケティング施策が、間違っているというワケではないけれど、致命的に「足りない」と云っていいと思う。今のやり方じゃ、CMを大量投下してもユーザーに伝わるワケがない。
とはいえ。
忍氏が、(たぶん遊んでいないであろう)『バイトヘル』を印象だけで批判するコトの是非は、また別の話だ。本来的に云って、流通業者は商材(ソフトね)で利益を上げるコトが目的なのだから、誰よりも「目利き」であるべきだし、商材の価値を顧客に正しく伝えるべきであるのは論をまたない(その為に、流通関係者に対しては発売2ヶ月前に「新作ソフト商談会」という試遊の機会が設けられている)。なので、埋もれた(でもポテンシャルのある)ソフトを使って利益を出すのならば話は解るが、埋もれそうなソフトを遊びもせずにスルーした挙げ句「ほら惨敗した」では、本道に悖るように思える。ましてや、それを影響力の強いブログで書いても、誰も得をしないのではないか。これは、いくらSCEの施策に瑕疵があったとしても免責されるものではない。
(ちなみに、忍氏が『バイトヘル』を遊んでいないと推測した根拠はしごく単純で、「忍氏ほどの目利きなら、少し遊べば『バイトヘル』の面白さに気付くに違いない」と思っているからだ。氏の映画評はまさに「目利き」のそれだと思う)
ところで。
鶴見はこのエントリーを書きながら、『バイトヘル』のCMが如何にあるべきかを妄想してみた。例えば、鶴見が同じポジションだと考えている「ゲームボーイ・ミクロ」のCMは、ファミコン世代に向けて、オピニオン・リーダー的なタレント(宮藤官九郎やら木村カエラやら)を起用していたワケだが、同様の手法はどうだろう? ファミコン世代に向けて、ゲームの楽しさを想起させるタレントの起用は、かなり効きそうだが。あるいは、『バイトヘル』の出来自体は、大ヒット作『脳を鍛えるDSトレーニング』と比肩し得るモノなのだけれど、『脳を鍛える~』はタイトル通り「脳を鍛える」という判りやすい利益があるのに対して、『バイトヘル』は純粋娯楽なので分が悪い。そこで「純粋娯楽」の価値を訴求するようなタレントの起用なんてのも、いいかもしれない。そこで――
- 案その1「高橋名人編」
- 案その2「HORIオレコマンダーコラボ編(高橋名人に挑戦!)」
- 案その3「三谷幸喜・娯楽について語る編(※バイトヘルには一切触れない)」
まず無理だろうけど、実現したら面白いし効果的だと思うんだが。つうか、もし今から売れちゃったりしたら、ゲーム業界のレジェンドとして後世に語り継がれるるだろうし…それって、なんだか『バイトヘル』に相応しいと思うんだが。おまけに、「面白いゲームを作りさえすれば結果はついてくる」と、制作者を勇気づける結果になるとも思うんだが。無理かねえ。無理だろうな(まあ、それはそれで『バイトヘル』らしいワケなんだが)。だが、だがしかし。
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