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2002年07月12日

嘘六百・第4回

マイケル・ジャクソン氏の事は、皆さん御存知ですよね? 世界に名高いエンターテイナー。ビデオゲームにも造詣が深く、最近ではスペースチャンネル5にも出演。そして――世界で最も毀誉褒貶が激しい人物の内の1人でもあります。

 ワールドツアーのチケットが各国で即完売するかと思えば、整形失敗!と東スポ一面を飾りもする。世界平和の催しに積極的に参加するかと思えば、幼児性愛(ペドフィリア)か?と疑惑の目を向けられる。彼の博愛と奇行とが混淆するパブリックイメージは、天才と何やらは紙一重、の謂いを体現していると言えるでしょう。
こんな人、他に居ません。居っこありません!

 そんな彼のゲーム「マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー」アーケード版こそが、私がセガに入社してから企画として携わった第1作だったりする訳です。

 彼のゲーム、と書いたのは、それが正に「マイケルの企画」によるものだったからです。マジです。そういう意味では、私の身分は企画丁稚(アシスタント)であり、上司がマイケルだったと言えます。
今のようにEメールのない当時、私達は企画書や仕様書を定期的にマイケルへFAXし、それに目を通したマイケルが(エージェントを通じて)アイデアや駄目出しのコメントをFAXで送ってくる、という段取りで遠隔操作されていました。曰く――

「ジャクソン氏は、人を殺すような攻撃を望んでいない。再考せよ」
「氏は、ロボットへの変形を望んでいる。特に最終シーンでは、『トランスフォーマー』のように、空飛ぶ車に変形させよ」
「マイケルの『M』の字にマシンガンの弾痕を並べよ」

――それにしても、自分の好き勝手なアイデアをゲーム化させる。これはもう、ゲーマーの夢ではないでしょうか。想像してみてください、自分のアイデアでセガにゲームを作って貰える幸福を!

 また、マイケルは来日する度にセガを訪問していました。タクシー7台ほどの追っかけを引き連れて。
彼にとってセガへの来社は、ディズニーランドの貸し切りと等価だったのではないかと推測しています。これまた、ゲーマーの夢。想像してみてください。自分の好きな時にセガに訪れて、開発中のゲームを見せて貰える幸福を。

 私は確信しています。マイケルこそが「セガ人(せがびと)の中のセガ人」だと!

 そういえば私は2度ほど、マイケルが来社した際に2人っきりでお話しした事があります。1度などは、研究中の半球面ドームプロジェクター筐体の中で、です。ぱっと見の印象はシャイな兄ちゃん、というイメージだったのですが、ドーム筐体という暗闇の中に入って驚きました。

 私は、本当にオーラを発している人間を初めて見ました!

 それが、スーパースターが身に纏う本物のオーラだったのか、それとも整形の際に注入した物質が発光したのかは、今となっては定かではありませんが…。

教訓:好きなゲームを楽に作りたければ、世界的スーパースターになれ!


今回は参った。
つか、自分の筆力の無さを呪ったね。
俺は元々が平易な語彙を使って「饒舌体」で文章を書く人なんで、今回のマイケルみたいに、ネタが多すぎると困っちゃうんだわ。
本当に伝えたいコトと、他人を面白がらせるエピソードとを決められた字数内では統合できずに「上っ面だけの文章」。これじゃ遺憾ね。

ホントに書きたかったのは――

「俺は最初、マイケルは決して好きではなかった」
「プロジェクトは、ほぼ新人ばかりで構成されていた。
一種の『捨てプロジェクト』だったのではないか?」
「助けてくれる先輩も、自分のプロジェクトで手一杯だった」
「ゲーム制作中にも、マイケルに振り回されっぱなしだった」

なのに!
なのに、マイケルのプロジェクトの経験は、非常に身になり、おまけにマイケル・ジャクソンも大好きになった。この経験談から、いくつかの教訓が導き出せないか。

――うーん、やっぱり字数が2倍は必要だなあ。編集のウメちゃんは、「2回に分けて書けば?」と提案してくれたけど、それもまた、違う気がするし…。

ま、とりあえず自主的に没にした断片を、ここに記して供養しとこうかね。

しかしまあ、大変なプロジェクトでした。入社直後で右も左もわからぬ新人を企画に立て、他のチームメンバーも、同期や中途入社の新人アーティスト達だったり、初めてメインを張るプログラマーだったりと、なんとなく寄せ集めチームの匂い。後で聞いた話では、マイケルからオファーがあった後、企画チーム内では「宿題」と称したアイデアコンペがあったそうですが、誰も関わりたがらず、宙に浮いていたのだとか。そして、何も知らずにノコノコと入社してきた新人達、特に、馬鹿面下げて煙草を喫っていた私に、白羽の矢が立ったという次第。


――あ。今更ながら気づきました。「これって実は、捨てプロジェクトだったんじゃないの!?」


何のスキルもない若僧が、マイケルと交わした英文の契約書を読破し、企画仕様書を書き、関連各部署に頭を下げて回る。指導してもらうはずの先輩は「シャドウ・ダンサー」で多忙だったために助力を得られず…。


マイケルの承認がなければ発売できないという、いわば人質を取られた身なので、従わざるを得ません。


マイケルズ・ランチと呼ばれるゲーム部屋を持ち、そこに子供を招いては、一緒に遊んでいるのだそうです。もちろん、セガから寄贈された「ギャラクシー・フォース」の筐体をはじめとした、体感ゲーム筐体のオンパレードなのですから、並のゲーム部屋とはひと味もふた味も違います。


何年か前、アトランタでE3が開かれた時の事です。我々が宿泊していたホテルのスポーツバーに行ったらば、そこでは「カラオケ・ナイト」という催しが行われていました。バーといっても、小さな体育館ほどもある巨大な場所で、そこにステージがしつら設えてあり、いわゆるカラオケ・パブ式に客が唄うシステムです。E3に訪れたゲーム業界関係者が、次から次へと唄っているようです。
さすがショービジネスの国、アメリカ。素人のカラオケといっても侮れません。難易度の高いマーヴィン・ゲイの歌を、高らかに唄いこなす太っちょの黒人を見た時は、カラオケ発祥の地のプライドが燃え上がり――後先考えず、曲をお願いしてしまったのです。歌は「スリラー」。

大喝采です! さっきの超絶に上手かったマーヴィン・ゲイが、すれ違いざまに「ギブ・ミー・テン!」と声を掛けてきます。もちろん、それに応えて両手を突き出し、頭上で手を合わせます。

その後、自分の席の周辺に居たアメリカ人の女の子――私がマイケル・ジャクソンのゲームを作ったと知っている娘なのですが、その子が声を掛けてきたので「このスリラーは、マイケルに習ったんだよ」とテキトーな事を言ったら、本気で信じてしまい、目を潤ませていたんですが……いやはや、マイケル様様ですね。


ちなみにマイケルと会った後、「鼻は陥没してた?」「肌の色はむら斑だった?」「襲われなかった?」という質問を100回以上は受けましたが、答えは全部「NO」です。

でも私は確かに、光るマイケルを目の当たりにしたのです!


マイケルの生声テープは、私の一生の宝物です…その「苦闘」と言える経験と共に。

なんまんだぶ、なんまんだぶ…。

投稿者 tsurumy : 2002年07月12日 06:00

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コメント

素晴らしい体験をされたのですね。
よっぽどMr.マイケルジャクソン氏との縁がお深いのですね。

彼の後光をみたり、彼とのその仕事が自分の実になるし、そして彼のこと大好きになったなんて、神々からの 祝福といわざるをえません。なぜなら新聞や雑誌、テレビの情報を鵜呑みにする一般人は彼の素晴らしさがまったくもって伝わらないからです。でっちあげの情報に右往左往されて かわいそうですね。
本当に彼はすご過ぎる存在です。

一言でいえば 愛 そのもの。

Mr.マイケル ジャクソン氏を大好きだといえる自分を称賛し、よりいっそう 精進 なさって下さいね。

投稿者 東洋姫神 : 2007年07月01日 21:31