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2005年11月14日

ネット*゛ャル2.0のコト

すっかりフェードアウト組の鶴見ではあるが、流行に追いつこうとWeb2.0とゲームを関連づけるような言説を読み散らかしていたら(「発熱地帯」のこれとかこれとか、「ゲームのマボロシ」のこれとかこれとか、他にもこことか、まあここも)、なんだか妙なデジャ・ヴュにおそわれた。このコンセプトってなんだか、どこかで見たコトあるぞ。つうか、考えたコトがあるぞ。


昔々のはるか昔、SCEIのサイトが「GARAGE」という名前で手作り感バリバリだった頃、鶴見達は本業の合間にネットワークゲームの実験なんぞをやっていた。あれは1997年頃のコトだったろうか。

形になったモノ(ロドモンとか)もあったけれど、形にならなかったモノの方が多かった…マルチプレイヤー海戦交易シミュレーション「キャプテン・フネゲール」なんて、プロトタイプは公開したものの、今やググってもヒットすらしやしない。伝説の巨人族船長フネゲールが遺した財宝を求め、七つの海をまたにかける船ゲーフネゲール。やっぱりネーミングが安直過ぎたのかなあ(←そういう問題ではない)。

その、形にならなかった実験作群の中に、「ネット*゛ャル(仮)」というモノがあった。ネットギャルならぬ「ネット*゛ャル」。プロト画像は「GARAGE」で公開したはずなのだが、これまたググってもヒット無し。やっぱり「*(アステリスク)」が混じると検索できないもんね(←そういう問題でもない)。“肉体絵描き”らっきー斉藤や、“ゲーム屋”島国大和、“編プロ社長”はなぢ、“ネット仙人”JOE、という謎の面子で作っていたゲーム(と呼んでいいのか)なのだが、これがまた、Web2.0流行りの今見ると、なかなか興味深いのだ。完成しなかったけど。


当時の仕様をつらつらと思い出してみると、メインのアプリは「人工無脳」をベースにした女のコとの会話ゲーム(ちなみに女のコの名前は「柴門しえり Sai-mon Cheri」)。ここで面白いのは、会話の方向性によって、しえりチャンのキャラがどんどん変わっていく、というトコロだ。しえりチャンのキャラクター性を「知的-痴的」「積極的-消極的」(だっけかな)という2軸上にマッピングし、入力する単語の傾向によって、それをどんどん変化させてゆく。見かけ(メイクや服装)も変われば、口調や話題も変わってゆく。育て方によっては、メイド服ばかり着て「ご主人様」なんて言い出しちゃう可能性もあるワケだ。

そしてもう一つのキモは、それを多人数で行うというトコロだ。話題データベース&性格パラメータはサーバーに一つだけ。それを多人数で改変し合う「綱引き」だ。ただし、各プレイヤーには「好感度」パラメータがあって、好感度の高いプレイヤーには影響されやすい。プレイヤーの目的は、多彩な話題で好感度を上げ、しえりチャンを自分好みの色に染めてゆくコト…なのだが、ネットの向こう側に居る恋のライバル達がそれを許さない。

特定の条件下では、プレイヤーがしえりちゃんに、任意のアクセサリーや服装を提案するコトも出来る。「ゴスロリ着たら似合うんじゃね?」とかなんとか。ただし、しえりチャンはすぐにゴスロリに着替えるワケではなく、他のプレイヤー達との会話中に、それとなくお伺いを立てるコトになる。「アタシ、ゴスロリ似合うかなあ?」とかなんとか。それでウケが良ければ、ゴスロリ方面に移行するコトになる。

しえりチャンの性格変動を「系」として捉えるなら、性格はいずれ「安定する」(一所に落ち着く)。例えば、しえりチャンがいったんヲタ化してしまったなら、ヲタ的話題にしかノってこない(=好感度は上がらない)ので、ヲタ以外には移行しにくくなってしまう。これを覆すには、多くの人間が「非ヲタ化」を望むしかない。つまり、少数の影響力の強いプレイヤー(=友人の意見)と、多数の影響力の弱いプレイヤー(=世間の流行)というモデルだ。友人の少ない初期には、流行に左右されて性格はコロコロと変わるだろうが、友人が生まれ(もしかしたらコミュニティ化し)てゆけば、そちらに安定するようになる。なので性格は平均化せずに、突出した個性が生まれつつ、望まれる場所に落ち着くコトになるだろう。

しえりチャンのキャラクターがある程度安定してしまったら、次のキャラ「柴門なみ Sai-mon Ami」の登場だ。なみチャンは、しえりチャンの双子の妹。いつも二人一組で扱われるコトに反発して(という設定で)、出来る限りしえりチャンのキャラクターから離れようとする。しえりチャンが積極的なら、なみチャンは消極的方向に移行しやすく、しえりチャンがポニーテールなら、なみチャンはツインテール方向に移行しやすい、という具合だ(いや、ポニテ←→ツイテはちょっと違うか…笑)。

もちろん、なみチャンが安定したら、初期設定と学習の方向性を変えた別の女のコを出せば良い。いくらでも作れる。――いや、「作れる」というのは適当じゃないな。「生まれる」の方が適当か。鶴見の私見では、「定形+記号の組み合わせ」だけではキャラクターとは云えないが(いや、そういうノーアイデアなキャラって世間に氾濫してるんだけど)、こうした「キャラクターの成立」そのものをモデル化した方法論で作られるのであれば、「生まれる」の方が適当なように思う。そして「育つ」のだ。


ドリマガ掲載版の嘘六百で書いたコトではあるが、世にあるゲームの大半が、我々の世界の一部分を切り取って純化・モデル化した物であるように、ネットゲームもまたネットワーク上でのコミュニケーションをモデル化した物の方が受け入れられやすい(→嘘六百・第33回/「オンラインゲーム」(1))。

後付けの理論で云うなら、この「ネット*゛ャル(仮)」、2ちゃんねるでモナーやモララー等のアスキーアート・キャラが生まれ、キャラクターとして成立したモデルに近いと思う。キャラクターが作家の手によって成立するのではなく、多数のユーザーの手によって半自立的に生まれる。

ああ、書いててやっぱり確信した。これって極めてWeb2.0的だ。


もしかしたら、こういうゲームは既にあるのかもしれないけど、自分で作るワケじゃないから特に調べたりはしない。でも、他人に独占されるのはイヤなんで(笑)、こうやって公知にしておく(実際には1997年の時点で公知なワケだが)。誰か作るのであれば、ご自由にどうぞ。

【追記】
結局ナニが云いたいのかというと、『「Web2.0」「Web2.0」って叫ぶコトに何か意味あるの?』ってコトだ。今の状況(あるいは半歩進んだ状況)で出来る面白いコトを追い求めていったら、いわゆるWeb2.0的になるコトもあろう。ゲームとても時代の子なのだから。でも、「Web2.0的なゲームを作ろう」って、鶴見にしてみれば「なんだかなあ」だ。10年以上前に「ざるの会」のメンバーと議論した「ざると種」の話を思い出す。

人の行く裏に道あり花の山。


【追々記】
某所より、「それって『コラボレイティヴ・ランク(Collaborative Rank)』と一緒じゃん」というチクリがはいった。詳しくは、HotWiredの記事を見ていただきたい。

「ソーシャル・ブックマーク」が流行の兆し(HotWired Japan)

コラボレーティブランクは検索エンジンなのだが、評価が高いネットサーファーが見つけた検索結果を特に重んじる仕組みになっている。

確かに似てるね、うん。

以上。

カテゴリー: 新・嘘六百

投稿者 tsurumy : 2005年11月14日 19:01

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コメント

ネット*゛ャル2.0、まさにWeb2.0的なゲームですね。ちょっと違いますが、人工知能的なアプリがユーザーによってデータベースが鍛えられる(?)というのには「20Q」を連想しました。
すでに検索エンジンがひしめいていた当時から、突如新参者のグーグルが世界を席巻したのと同じように、何かちょっとした工夫、アイディアから、そうしたWeb2.0ゲームが大ブレイクするのではないかと思っているのですが・・・。

投稿者 あれれ : 2005年11月16日 00:10

「20Q」興味深いですよね。ワタシも卒論はニューラルネットで、手書き文字の認識のために、大量の手書き文字サンプルを電総研から入手して、コンピュータに食わせたものです。当時も「パソコン通信でサンプルを集めるコトは出来ないものか?」と考え、同期の人間とディスカッションしたような記憶があります。材料は20年も前から、ごく普通に転がっていたんだと思います。

というか本文を読んでもおわかりの通り、鶴見には「Web2.0ブーム」を揶揄する気持ちがあります。「Web2.0ゲームが大ブレイクする」のではなく、何かのゲームが大ブレイクして、それがたまたま現在のインフラを十二分に利用しきった「今のゲーム」だった、というコトになるのだろうなあ、と。「Web2.0」という定義から発想するのではなく、「現在のインフラを使った面白いゲーム」を発想する方が近道だと思います。カンですけど。

投稿者 tsurumy : 2005年11月16日 09:23

鶴見さんが言われたいことは良く分かります。定義は常に後付けですからね。

ちょっと長くなりそうなので、続きは僕のブログの方で書きます。もし良かった読んでみてください。

投稿者 あれれ : 2005年11月19日 12:31