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2006年03月12日

「ゲーム性」を退化させる国家の策謀のコト

後学の為にパチンコ/パチスロの「ゲーム性」について熟考中の鶴見であるが、最近のパチ業界の状況を眺めていると、まあ何というか、考えさせられるコトが非常に多い。

「全国規模の相談機関が設立 パチンコ依存」(琉球新報)

「依存」は「魅力」の裏返し。ギャンブルは、射幸性こそが魅力であり、根本価値だ。「魅力」自体に善悪はなく、善悪の意味づけは環境によって生み出される。

日本では、パチンコ/パチスロは「ギャンブルではない」庶民の健全な娯楽だという。いくら諸外国のギャンブル産業と比肩しうる30兆円もの総売上を誇っていても、ギャンブルではないと強弁されている。ちなみに強弁しているのは、監督官庁にしてパチンコ業界の寄生虫とも揶揄される警察庁。

建前として「ギャンブルではない」のだからして、魅力の中心を為すはずの「射幸性」は、あたかも鬼子扱いだ。風適法の表現でも「客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」とされている。何が「おそれ」だよ。「著しく射幸心をそそる」コトの無いように監督してはいるけど、客が勝手にハマっちゃうかもしれないよ…そういうコトにしておきたいらしい。建前がスケスケの、まったくもってフザケた表現だ。

実際、パチが原因の「家庭崩壊」「借金地獄」等が社会問題になる度に、「自主規制」なる建前の監督官庁の指導が入り、射幸心を過度に煽る仕様は削られていっている。結果、射幸性の高い機械は徐々に姿を消しつつある。パチスロは「5号機」という、マイルドな波の(大負け/大勝ちしない)規格に移行しつつある。

アホか。

魅力を増すべく=射幸心を煽るべく、せっかく進化してきた射幸性(ゲーム性)を、退化させようとするお上の規制。仮にビデオゲーム業界で、「ゲームを面白くしてはいけない」という指導が監督官庁から入ったらどうなるか? 「ドラクエは強盗を引き起こすから、もっとつまらなくしろ」「メインCPUは十年前の技術で作られた官製の物に限定する」「ステージ中のパワーアップには制限を設ける」「連射速度は秒間10発まで」「1UP禁止」、等々。ナンセンスにも程がある…が、それをやっているのがパチ業界なのだ。


問題が「射幸性」ではなく、パチにかかる金額が「レジャー」の範疇を越えているコトにあるのは明々白々だ。例えば、1日12時間で最大どれだけ負けるコトが出来るか試算してみよう。

  • パチンコ:1分100発(1玉4円) → 28万8千円

  • パチスロ:4.1秒3枚(1枚20円) → 63万2千円

まあこれは極端な計算で、実際には出玉のあるミニ当たりがちょこちょことはさまるので、パチンコの場合は3分/千円=1日24万円、パチスロの場合は30ゲーム/千円=1日35万円ぐらいになる。最大値とはいえ、これほどの大金を投じるコトの出来る「ギャンブル」なので、今のパチンコ屋で5~6万負ける人間などザラだ(鶴見も最大で1日8万負けたコトがある…汗)。ちなみに少々古いデータだが、2002年に日本遊技関連事業協会(日遊協)が行ったアンケートによれば、客の投資限度額の平均は3万4206円だという。豪勢な温泉旅行に行ってもお釣りが来る。パチンコ/パチスロをやらない人間からしてみれば、何故それほど費やすのか理解できないコトだろう。

何故なのか? それはもちろん、それ以上に取り戻せる可能性があるからだ。

パチスロでは「万枚」という大勝ちの基準となる言葉がある。メダルを1万枚出すコトを云い、等価交換なら実に20万円もの勝ちを意味する。しかもこれは、宝くじみたいな夢物語ではなく、ちょっと気の利いた店なら毎日のように起きている、手が届きそうな場所に見えているリアルな夢なのだ。なんだか、真面目に働くのがバカらしくなっちゃうような金額だ。


かくして、1日に20万円勝てる(可能性のある)賭博場には、真面目に働くのがバカらしいと考える若゛者が集うコトとなる。いわゆる「パチプー」というヤツだ。繁盛しているパチンコ店へ午前9時半あたりに行くといい。ラフな格好に、浜崎あゆみチックなサングラスをかけ、帽子を被っている若゛者達が列をなしているのを見るコトが出来るだろう。サングラスは、光の点滅を一日中見つめ続けても眼を痛めない為。帽子は、早朝起き抜けすぐに髪をまとめるヒマもなく、パチンコ屋に急いで来た為。そう、彼(彼女)らこそが、パチプーだ。

パチプーは、ここ10年で一気に増殖した。例えばここ10年の「レジャー白書」を眺めると、パチンコ関連の参加人口は3分の2になっているのに、総売上は1割も減っていない。即ち、1人当たりの投入額が増加しているというコトだ(まあ、2004→2005では若干減少したが)。また、パチ業界によるアンケートでも「ライトファンは減少/ヘビーファンは増加」と書かれている。全体的な傾向として、パチプーが増え、一般客が減ったというワケだ。身も蓋もない表現をすれば、パチンコ屋はパチプーの巣窟になってしまったのだ。


ところでパチというギャンブルは、微視的に見ればプレイヤー対ハウス(店)であり「客が店から幾ら分捕れるか」という勝負なのだが、巨視的に見れば実はプレイヤー対プレイヤーという要素を内包している。

これがカジノならば、ハウス側のコミッション(いわゆる寺銭)の割合はゲームの種類によって確率的に決まっている。例えばルーレットならば、どのテーブルで賭けようとも変わらず、5.3%の期待値で店が儲かるようなルールとなっている(プレイヤーが1000ドル賭けた際の配当の期待値が947ドル)。もちろん、これは確率における期待値の話だから、運次第で客が大勝ちするコトは当然ある。だが、長期的に見れば「大数の法則」により、店は儲けを出すコトが出来るのだ。そしてプレイヤー側からすれば、相手は店…というより「確率」そのものなので、他の客がプロだろうがイカサマゴト師だろうが関係なく、素人でもカジノを相手に運試しを楽しめる。

ところがパチにおいては、店は釘調整(パチンコ)や設定(パチスロ)によって、出る台(出やすい台)と出ない台(出にくい台)とを配し、総体として、売上げに対して客にどれだけ還元するか(「割数」という)をある程度コントロールしている。つまり、店が総売上金額からコミッション(利益・設備費・サービス費)を戴き、残りを客同士で奪い合っていると云ってよい。

そう、一口に云えば、パチプーが勝てば勝つほどライトファンが割を食って負ける構造なのだ。

出やすい台をパチプーが朝から晩まで占拠してしまえば、ライトファンが勝てる道理はない。ライトファンの足はいよいよ遠のき、パチンコ屋の経営はヘビーファンに依存してゆかざるを得ない。そんな業界には、今のままでは未来はない。


じゃあどうすればよいのか。

そんなコト、門外漢の鶴見にだって分かる。パチにかかる金額を「レジャー」の範疇に収めればよいのだ。貸し玉/貸しメダル料金を10分の1程度にすれば、よっぽどツカンポな人間が1日負けたとしても2万円。実際にはそれより少額でお腹いっぱい「遊ぶ」コトが出来るだろう。それでこそ、庶民の娯楽に相応しい。

あるいは4分の1程度でもいい。「それじゃあ食えない」パチプーを駆除するコトが目的だ。パチプーさえいなければ、相対的にライトファンを呼び込むコトも出来るだろう。その為には、換金出来ない(特殊景品ナシ)の店ってのでも良いかもしれない…つうか、昔のパチンコ屋って、そんな感じじゃなかったっけ?

もちろんこれは、パチンコ業界の規模縮小を意味するので、云うのは易く行うは難い。殊に、30兆円にブラ下がっておこぼれにありついている「寄生虫」が、そんな構造改革を許すとは思えない。官僚が、省利省益を減らすコトに対して最大限の抵抗を示すのは周知の通りであり、例え、多くの人生を破壊した上での「30兆円」であったとしても、そうした本質には知らぬ顔の半兵衛をきめこんで、「射幸性こそ元凶」とばかりに、ゲーム性を規制し続けるコトだろう。

4分の1でも「7兆円産業」、十分大きい規模なのにね。ライトファンが増えれば、将来にわたって「食える」コトになるのにね。それで社会現象を回避出来てイメージアップが図れるのなら、万々歳だと思うんだけどね。パチプーを駆除して労働力に転換出来れば、国力も上がるのにね。

ああ、人民は弱く、官吏は強し。あとPSE法は絶対反対。

カテゴリー: 新・嘘六百

投稿者 tsurumy : 2006年03月12日 23:29

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コメント

 わかりますねぇ。実際、ゲームセンターのパチンココーナーはどこも大入り満員です。しかも、設定が緩い(普通設定が5か6というパチンコ店では絶対に行なわない設定)かつ料金が安い(メダル購入レートはパチンコ屋の8分の1)ので、3000円もあれば、一勝負可能。もはや一般庶民はそこでしか遊べないですね。

投稿者 ふくいけいじ : 2006年03月14日 11:24

いや、パチンコ業界側も「娯楽」にしたいとは思ってないでしょう。勿論「ギャンブル」にもしたくない。現在の位置付けが一番都合の良い状態なんですよ。娯楽の名の下に大金を搾り取り、かといって賭博税を払うこともなく、ガンガン出店出来る今の状態がね。

投稿者 cybo : 2006年03月14日 16:15

「パチスロは「5号機」という、マイルドな波の(大負け/大勝ちしない)規格に移行しつつある。

アホか。」と
「パチにかかる金額を「レジャー」の範疇に収めればよいのだ。貸し玉/貸しメダル料金を10分の1程度にすれば」が書いてあるんですけどニャ。
 矛盾してると思うのは気のせいかニャ?

投稿者 Prof.Alpha : 2006年03月15日 00:27

↑矛盾してないでしょ?
頭の悪いコメントは削除されちゃいますよ?www

投稿者 アロンソ : 2006年03月15日 00:51

矛盾していないと思いますが?

5号機と、貸玉料金を下げた4.7号機とを比較した時、
たとえ金額ベースでの入出力が同じだとしても、
両者の「射幸性(ゲーム性)」は明らかに違っていて、
4.7号機の方が「面白い」。

なら、せっかく進化したゲーム性を制限するんじゃなく、
貸玉料金を下げる方が、健全で良いんじゃないか?

という論なのですが…。

投稿者 鶴見六百 : 2006年03月15日 02:54

 金額の入出力が同じなのに矛盾してないと言うのは射幸性が高い=面白いという考えが理由ですニャ。金額が同じだと結局20万勝てると思いますがそれはまあいいニャ。
 スロットの北斗の拳と言うのがあったニャ。これは別に射幸性が高い(大勝ち/大負けする)仕様じゃなかったニャ。でも人気があったと言うのは面白かったと言う事では無いのかニャ?
 また射幸性が高い=ゲーム的だとするとライトファンは格ゲー対戦台と似た状況で「ヘビーファンにほぼ勝てない」のでそれを面白いと思う人はあまり居ない(一部居るが)、っていうかそ-ゆー状況を打破するのが目的なはずニャ。
 実際はパチプロですら負ける事もある状態ですけどニャ。

投稿者 Prof.Alpha : 2006年03月16日 01:09

まずProf. Alphaさんの認識では「北斗の拳の射幸性は高くない」というコトのようですが、これはProf. Alphaさんの印象にすぎないですね。印象の正否を議論してもしょうがないので、知り合いの店舗の「コイン単価」を比べてみますと、北斗は5号機の2倍近くあります(ありました)。大まかに云って、2倍ぐらいアツくなって投資している方々が多いワケです。これからすると、北斗は射幸性が(比較的)高いと云ってもいいでしょう。確かにもっとコイン単価の高い機種(ミリオンゴッドとか)もありましたが、今回の比較対象はあくまで対5号機なので。
で、射幸性は金額の多寡と正の相関をみせますが、とはいえ、金額を減らしても射幸性をあまり損なわない仕組みが、4.*号機では進化してきたと、鶴見はみています(それ故、ここ十数年で貸玉料金はそれほど上昇していないのに、売上げと依存度は上がったワケですね)。その進化した内実こそが、鶴見が「射幸性(ゲーム性)」と呼ぶモノです。厳密に云うと「射幸性」と「ゲーム性」は微妙に違うモノだと鶴見は捉えているのですが、まあ今回のエントリーでは一緒くたにしても問題ない主旨だったので、こうしました。「パチのゲーム性」については次エントリーで書こうと思っていますが、いわゆるビデオゲームのゲーム性とはちょっと違う――でも脳内では同じような効果をもたらすので「ゲーム性」と呼称しますが――モノだと考えています。「ゲーム性」=「仮想的な(お金があまり動かなくても起きうる)射幸心(の一部)」というコトで、それ故、ゲームセンターに置かれたパチスロ機が、お金を賭けるワケでもないのに好稼動だと。
その辺りを踏まえずに「射幸性が高い=ゲーム的→ヘビーファンにほぼ勝てない」というのは、パチンコ/パチスロのゲーム性を無視した、早急な推論ですね。今回の鶴見のエントリーを元に、そこまで飛躍は出来ないはずです。

ちなみに、Prof. Alphaさんの書き込みは、語尾の「ニャ」のせいで論旨が非ッ常~に読みづらいので、もしかしたら鶴見が誤読している可能性もあります。その場合はご容赦を。

投稿者 鶴見六百 : 2006年03月16日 02:35

はじめまして。
エントリの内容で気になった事がありましたので、コメントを登校させていただきます。
警察庁からのパチスロやパチンコの貸出金額は「ぱちんこ1玉4円メダル1枚20円を上限とする」という規制があるのみです(地方・所轄によって別途規制がある地域もあります)。ですから、現行法でも鶴見氏の主張どおりの営業をホールが行う事は出来ますし、実際に貸し出し単価がメダル1枚10円のホールも既に存在しています。
また、5号機の規制については、P/O率の幅を規制する事により、ホールが抜ける率を減らすことが主眼ではないのか、という見方もあります。設定1を入れようが6を入れようが、完全確立制であればお客へのリターンの期待値は常に一定の水準に収める事が可能なのではないか?というアプローチですね。
4.x号機の場合は、ホールが出球を演出しやすく、いくらでもメダル単価を上げることが可能でしたから。それでもお客のヒキによって思わぬ枚数が出ることも(その逆も)あったわけですけど。
パチンコ業界の構造的な問題は、P/O(コミッション)をホールが自在にコントロールできるという点にあります。そして、P/Oの調整を1台毎に独立して行わなければならないという。
これが、カジノスロットのプログレッシブタイプのように、ホール毎(シマ毎)にP/Oを設定し、法で定められたP/Oの下限をホールが守らなければならないとなれば、優れたゲーム性を持ったパチスロの出現も可能だと思いますし、業界も健全化せざるを得ないでしょう。
そういったマシンを8号営業でフィールドテストするような環境になれば、8号営業にも7号営業にも得るものがあるのではと思います。長文失礼いたしました。

投稿者 林田 : 2006年03月16日 20:45

おや、「ゲームセンターに明日はあるの?」の林田さんですね。たまに読ませてもらっております。

ホールの独自判断によって貸玉料を変更出来るコトは、もちろん知っています。貸玉料メダル10円のホールがあるコトも。去年ぐらいでしたか、パチンコ業界紙で「7.5号営業(もちろん風適法の区分ですが…釈迦に説法か)」と大々的に報じられていましたね。おまけに、3店方式による換金もなく、通常景品だけだったのにもかかわらず、当時は大盛況だったと記憶しています。アリなんですよね、こういう業態も。

ただ、日遊協のアンケートなんかを見ても、業界自体に「貸玉料を下げる」という発想がないんですよね(↑上記の業態も、パチンコ業界出身ではないコンサルタントからのアイデアだそうです)。そりゃそうです、貸玉料を下げるというのは、自ら売上げを減らす行為なワケですから。しかしその先にあるのは…諾々とお上の指導に従い、業界の財産とも云える「ゲーム性」を手放し、レミングスのように崖っぷちへと行進する未来…これって、ゲーム屋の常識と照らし合わせてみると、「アホか」と思えてならんのです。

ところで、林田さんは「店舗が独自にP/O率を(ある程度の幅の中で)コントロール出来る」点を構造的な問題と捉えていますが、鶴見はその点を「是」とする立場です。単純にその方が「面白い」。店選びも「パチンコのゲーム性」の一要素かな、と。
とはいえ、プログレッシヴ方式は公明正大でいいですよね。実は次のエントリーでも、そう書こうと思っていたトコロです。大規模なホールであれば、プログレッシブ・ジャックポットなどの設定で射幸心を演出するコトが効果的ですし、あるいは小規模な店舗でも、通信で束ねてプログレッシブ方式を導入すれば同様のコトが可能ですからね(まあ、11~12時間営業の日本のパチンコ屋では、稼働率を上げるために、複数種のジャックポットを設定するとか、2段階ジャックポットとするなどの工夫が必要でしょうけど)。

しかし…そのためには、公明正大なP/Oが担保されていると、ファンに思わせなければなりませんね。とかく、Bモノだ遠隔だと、グレーな疑惑の絶えない業界ですから。とにかく、現在パチンコ業界を覆っている「闇」を払拭するのが急務かなあ、と。

やっぱり元凶は、30兆もの巨額な業界規模と、それにぶらさがる警察庁のようです。

投稿者 鶴見六百 : 2006年03月16日 22:03

ところで、「Have you Played an ARCADEGAME today?」の元ネタ、鶴見の周囲だけでも10人は知っているかと思われますな。現に、ウチの本棚にも貼ってあるし。ちなみに、「W」マークは逆さにすると、モトローラのマークにソックリです。

投稿者 鶴見六百 : 2006年03月16日 22:14