« 出張で観た映画のコト | メイン | 音相とOnsonicとネーミングのコト »

2005年03月18日

子供にゲームをさせよ論のコト(予告)

宴の後よろしく、GDCが終わってからすっかり呆けている鶴見だが(呆けている場合じゃないんだが)、資料を整理していたら、GDCがらみでひとつ書き忘れたコトがあったのを思い出した。

「子供はゲームをしないほうがいい」? 高橋氏のユニークなゲーム観(Game Watch)

講演の中で高橋氏は、自らが持つゲーム観をいくつか語っている。(中略)特に子供がゲームをすることに対しては、「外で友達と元気に遊ぶほうがいい。ゲームなんて大人になってもできるし、時間がもったいない」という。

異論を唱えたい。

鶴見のスタンスは全く逆で、むしろ子供にこそ、良質なゲーム体験をして欲しいという信念を持っている。「子供にゲームをさせよ」だ。その信念は、ここ10年子供向けゲームに関わり続けたコトによって培われたモノだ。今や、誇りを持って「子供向け」「全年齢向け」ゲームに携わっている。

もちろんソレは、ESRBの全年齢向け「Everyone」レーティングがしばしば「お子ちゃま向け」と揶揄されるような意味での、「子供騙し」というコトではない。鶴見はアレだからして(笑)、子供向けとは云え、毒にも薬にもならないモノなんざ願い下げだ。むしろ毒。世間に蔓延する毒を、悪意を、狂気を――子供にも解る形でのエンターテインメント創作物として昇華させるコトこそが我が天職、という意識でやっている。

以前、どこかで書いたかもしれないが、鶴見的にはむしろ大人向けと称するゲームにこそ、「大人騙し」なゲームが多いような気さえする。思春期以降の性欲衝動につけ込むような、お手軽欲望充足型エロゲ商品なぞは、その最たるモノだ。褒賞の価値が大きいので、広義のゲーム性という意味では成立しているが、狭義の「ゲーム性」、即ちゲームをゲーム足らしめている要素という観点では、シロウト仕事が大半であるように鶴見には見受けられる(ただし、それらの商品を否定する意図はない。為念)。

鶴見の云う「子供向け」とは、大人のピンポイントな嗜好にオモネらない、万人向けのゲームを目指しているという意味だ。ここで、水口上手いコトを云っているので、引用してみよう(from 羨望は無知)。

欲求には二種類ある。先天的欲求と後天的欲求である。前者は生理的・原始的なものであり(中略)これは文化や言葉に左右されないプリミティブなものである。後者は大人になるにつれ出来てくる個人的嗜好である。(中略)子供は先天的欲求の影響が大きく、後天的欲求が少ないために、ポケモンはディテールがたとえ日本的なものであっても気にせず世界中で受け入れられる。大人になるにつれ後天的欲求つまり個人的嗜好の影響が大きくなり、~じゃなければ、とか、やっぱり~だよね、と言い始めるようになる。

水口はGDCでも同じようなコトを喋っていたが、まさに我が意を得たり、だ。鶴見も日頃、同じコトを叫んでいるのだが、水口の云い方は非常に説得力があるので今度から使わせて貰おう(笑

鶴見の実感として、歳のいった人間ほど嗜好がピンポイント的に狭い。「面白いゲームを」と云っている割りに、自分の狭い嗜好にピンポイントで合わせたモノしか評価しないのだ。いやまあ、そのコト自体は当然の話なのだが、例えばキャラクターデザインが僅かに好みに合わないだけで、平気で「クソゲー」呼ばわりするのは如何なものか。つうかやめろ。ラチェットを「キャラがキモい」「マユゲがキモい」と云い、「こんなの子供には絶対にウケない」などと、勝手な思い込みを2ちゃんに排泄する。だがそれは、全く勝手な思い込みからなる誹謗の類だ。

実際、水口の弁を引くまでもなく、子供ほどキャラクターを受容する範囲が広いのは間違いない。押しも押されもせぬ大看板キャラクターである「仮面ライダー」でさえ、発表当時の大人の見方としては、賛否両論「キモかった」のだ。だが、子供には圧倒的に受け入れられ、今やスタンダードと化した。日本のキャラクター世界の裾野を広げて来たのは、紛れもなく、子供向けのアグレッシヴなキャラクター達なのだ。

いやだからこそ「嗜好の狭い大人にもウケるキャラクター」の方が普遍性が高い、という論もあろう。ラチェットよりもクラッシュ・バンディクーの方が、素性としては普遍的なのではないかと問われたら、確かにそうだと答えるかもしれない。しかし、片やソニック・ザ・ヘッジホッグなどを眺めると、適切なインキュベーションが継続的に行われなかったために、キャラクターの魅力を大きく減じているように見える。「氏より育ち」なのだ。

えーと。

話がキャラクター方面に偏ってしまった上に、まだまだ長くなりそうな気がするので、本題である「子供にゲームをさせよ」については、また後ほど。

【追記】
「子供ほどキャラクターを受容する範囲が広い」についての補足。

もちろん生まれたての赤ん坊であっても、無制限にキャラクターを受け入れるワケではない。自分の身に危険をもたらすようなモノ(特に顔)に対しては、大脳辺縁体~扁桃体の本能的な記憶によってア・プリオリに、不快感を示すようになっている(怖いモノを好むコトが出来るのは、大人の能力だ)。もちろん逆に、「本能的に好ましい」モノもある。ただ、その認識のメカニズムはディテールの判断を含まないので、やはり子供の方が「受容する範囲が広い」のだ。

【追々記】
「羨望は無知」を「羨望と無知」と誤記してしまっていたので、訂正。申し訳なし。

カテゴリー: 新・嘘六百

投稿者 tsurumy : 2005年03月18日 10:31

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.0600design.com/mt/mt-tb.cgi/154

コメント

>ESRBの全年齢向け「Everyone」レーティングがしばしば「お子ちゃま向け」と揶揄されるような意味

それじゃ、グランツーリスモ4とか多くのスポーツゲームも「お子ちゃま向け」になりますな。
ちなみにわし的な北米市場における「お子ちゃま向け」タイトルの判断基準は「マルチプラットフォームタイトルでGCが一番売れる」ってことで(ウソ)。

しかし、キャラの好みが合わないだけでクソゲー扱いって、そんな前時代的な話があるんすか? 某編集部ぢゃあるまいし(汗)。

投稿者 御熊様 : 2005年03月23日 08:51