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2005年11月03日

「ゲームの華はアーケード」ではないのか?というコト

鶴見がゲーム業界に身を投じた昭和の末期は、ファミコン全盛期ではあったが、性能・ゲーム内容においては、業務用ゲームこそがゲームの最先端を突っ走っていたと思う。鶴見は「ゲームの華はアーケード」という言葉を胸に抱いて、業務用ゲーム機の開発部署を志望したのだった。

それから幾星霜。

業務用「TVゲーム機」の最先端性は飽和し、代わって台頭してきたのが家庭用。鶴見の仕事も家庭用ゲームの制作にシフトした。しかしその家庭用ゲームとて、携帯電話用ゲームなどに市場を奪われつつあるとされている。

鶴見は一時期、これを「イノベーションのジレンマ」に書かれているような、破壊的イノベーションによる市場構造の変化と捉えてきた。このまま家庭用ゲーム機も衰退して、携帯電話用ゲームが次世代の覇権を握ってしまうんかなあ、と。

それはある評価軸においては正しいのかもしれない。ユビキタス~第3の波という観点においても、必然と云えそうだ。

がしかし、それでいいのか。こと「ゲーム性・体験」という評価軸において、家庭用ゲーム機が(ましてや携帯電話ゲームなどが)業務用を越え得ないのは、「それポン」(2)で書いた「インターフェース」の例の通り。業務用・家庭用・モバイルは、相互補完的に「ゲーム」を発展させるモノだと考える。

このままゲームの市場構造が携帯電話なんぞにシフトしていけば、ゲームは徐々に薄まっていき…あれだ、SFとかが辿ったように、発展から(これはOK)、拡散・浸透して(ここまでは良い)、発酵・腐敗し(ちょ、待て)、ついには雲散霧消(おいおい)してしまおう。


業務用ゲームの復権を夢見る鶴見の書き込みは、レトロスペクティヴなのか?

カテゴリー: 新・嘘六百

投稿者 tsurumy : 2005年11月03日 23:31

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