« 評論は誰のためのモノなのかと疑問に思ったコト | メイン | プッチーニと緑色の帽子のコト »

2005年11月06日

パチンコ・パチスロと「ゲーム性」のコト(予告)

以前書いたのだが、パチンコで勝ちまくった時期があった(→2002年4月2002年5月)。

150万近くを稼いだ「CR出動!ミニスカポリス」を筆頭に(ちなみにミニスカポリスは、鶴見に初めて「萌え」を教えてくれた素晴らしい台なのだがそれはともかく)、「CRぱちんこイエローキャブ」50万以上稼ぎ、「CRおそ松くん」で、人生初の25連チャンなる爆発的出玉があったかと思ったら、「CRぱちんこウルトラセブン」朝イチ五百円で28連チャン(時給6万円)という猛爆的出玉まで体験してしまった(合わせて80万以上)。

ところが、今年の4月16日以来、「勉強の為」と「パチスロ北斗の拳」を始めたトコロ、初めて打った日こそラオウを昇天させて(35連)10万勝ちをおさめたモノの、後は勝ったり負けたり、負けたり負けたり。なあんだ負けてんじゃん。

それにしても、パチスロ屋の風景を眺めていると、往時のゲームセンターを思い出す。遮光段ボールを使っていた頃の薄暗いゲームセンターのコトね。無為徒食の若者が習慣的に出入りして熱狂し、独自のマナーが生まれ、攻略情報が流通する。コンビニに置いてある攻略雑誌の類を見れば判るのだが、作りがまんまゲームの攻略雑誌と一緒だ。この辺り、鶴見にパチスロを教えてくれた友人(ゲーム制作者にして古株ゲーマー)も同意見。規模に違いはあれども、状況はソックリなのだ。


ここ3年以上のパチ経験を通じた思索によれば(パチンコ遊戯中は思索に持ってこいである)、パチにはビデオゲームとほぼ等価の「ゲーム性・体験」があると考える。もちろん、パチは「チャンスのゲーム(a game of chance)」であり、「スキルのゲーム(a game of skill)」たるビデオゲームとは区別されてしかるべきだが、微視的に(あるいはプレイ中の心の動きを)観察すると、非常に似た構造と結果をもたらしているとしか考えられない。

――てな考えを、ちと文章にまとめてみようと思っている。上手くまとまったらお慰み、だ。

【付記】
鶴見はコトあるごとに「ゲーム性・体験」と表現しているが、これを「ゲーム性体験」とすると、「ゲーム感覚のアバンチュール(←古っ!)」とか「エロゲーによる現代のヰタ・セクスアリス(←もっと古っ!)」とかと混同されそうなので、こうしている。カイヨワの云う「Paidea」とも、ちょっと違う気がするし…ねえ。

カテゴリー: 新・嘘六百

投稿者 tsurumy : 2005年11月06日 23:08

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mrspider.net/mt/mt-tb.cgi/237