« 嘘六百・第25回/「ある制作者の挫折と転落」(2) | メイン | 嘘六百・第27回/「ある制作者の挫折と転落」(4) »

2003年06月06日

嘘六百・第26回/「ある制作者の挫折と転落」(3)

それは、学生時代から新宿歌舞伎町を根城にしていた僕にとって、比較的簡単に手に入る代物だった。友人の友人の、そのまた友人が紹介してくれたアラブ系外国人から大久保西公園で初めて手渡されたそれは、想像と違い、拍子抜けする程ちっぽけな包みに過ぎなかった――。

1994年、僕はあるドラッグを常用していた。ドラッグの効果が続いている間だけ、かろうじてゲームを作っていられたのだとも云える。鬱という疾病が僕から、思考力と集中力という、開発作業に欠かせない2つの能力をすっかり奪い去っていたからだ。

それ無しの僕といったらもう全くの無能者で、翌日に仕様書を出すと約束しておきながら、考えはまとまらず文書化も出来ず、徹夜明けの当日早朝、誰も出社して来ないうちに「具合が悪い」と書き置きし、こそこそと帰宅する――そんな繰り返しで〆切から逃げ回っていたのだ。

しかも狡い事に、1日だけでは仮病がバレてしまうからと2~3日は連続で休む。家では何をするでもなくぼーっと無為に過ごし、もちろん仕様書は白紙のまま。これじゃプロジェクトも進展する訳がない。

ところが一旦それをキメたなら、一転して溜まった雑務もバリバリこなす、スーパーマンに変身だ。僕は元来、躁気味の人間だったので、同僚も気付かなかった事だろう。

長年、ゲームを作る事のみに専心し、ゲームに依ってのみ自己実現を目指してきた「ゲーム絶対教」信者の僕が、「ゲームを作れない鬱の自分」に堪えきれず、それに縋ってしまったとしても誰が責められよう?

――でもそんな歪な生活、長く続く訳がない。破綻は徐々にやってきた。金銭的な面でだ。

給料が入る度にドラッグを購入していた僕は、生活費の足りない分をカード/キャッシングに頼るようになってしまったのだ。残業代が多かった頃はそれでも生活を回せていたけれど、休みがちになった途端、僕を高給取りにしてくれていた「スーパーフレックス」制度が逆に牙を剥き、手取り給料は20万以上も減ってしまった。かといって、その頃にはもうドラッグ無しでは出社すら儘ならなかったので、止める訳にはいきやしない。

お定まりの、返済を借金で賄う自転車操業によって、借金はある時点から級数的に膨らんでいき、最終的には消費者金融数社も含め500万円を越えたと思う。何のことはない、巨大な心労の種を一つ増やしただけだったのだ――。


スターウォーズPJのリリース1ヶ月前から、僕は家に引きこもるようになっていた。

ドラッグは買えなくなったのでスッパリ止め、虚脱感と焦燥感が交互に僕を悩ませるようになってしまったけど布団の中で凝っと耐えた。
胃には潰瘍が出来て血を吐いた。
夜、絶望に押し潰されそうになる度に、友人と数時間も長電話をした。
たまに夜の街で我を忘れようとしたけど、その後には更に深い絶望に沈んだ。
スターウォーズは、僕抜きでもリリースされ、商業的に大失敗した。

そして1995年、春――僕は、自殺を考え始めた。

はたして救いは訪れるのか!?

「今回の内容って、真実なんですか?」と、質問されまくったが、この回に関してだけは、ノーコメントでお願いします。

投稿者 tsurumy : 2003年06月06日 06:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mrspider.net/mt/mt-tb.cgi/136