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2003年01月31日

嘘六百・第17回/「GDC」(2)

 前回に引き続いて、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)で海外の制作者に向けてスピーチする予定の

「貴方のゲームを日本で成功させる方法」
"How to make your game successful in Japan"

その準備稿。もう大盤振る舞いですよ奥さん!

 さて、地理的歴史的な理由から、日本人が一般に多様な人種を見慣れておらず、それが海外発のゲームキャラクターに不寛容なInsularism(島国根性)の遠因となっている事は、先ほど(前回)お話しした通りです…が、実は、もっと直截的な原因も存在するのですね。

それが今回説明する――今や世界の共通語となった「MANGA(漫画)」「Japanimation(アニメ)」なのです。

 日本ほど漫画とアニメが市民権を得ている国はないでしょう。手元の資料によれば、日本の漫画市場は米国のなんと約20倍! それもそのはず、3~5百ページ程の漫画週刊誌が数十誌、それぞれ数十万から数百万部ずつも、毎週毎週発行されているのです。世界中の漫画の大半は日本で生み出され、消費されているといっても過言ではありません(インドの映画産業のように)。

そして特筆すべきは、日本における漫画読者の平均年齢が諸外国に比べて著しく高い事。1960年代後半に成年層を中心とした漫画ブームが起きて以来、大半の日本人は、年齢を重ねても漫画から卒業する事なく読み続けており、例えば電車では、スーツ姿のビジネスパーソンが漫画を読みながら通勤する姿が、当然のように見られます。
かくいう私も、子供の頃から30年以上欠かさず、毎週6000ページ以上の漫画を読み続けていますが、これも日本人にとっては突出した数値ではありません(あ、やっぱ突出してるかも…笑)。
アニメについての詳細は割愛しますが、同様に考えてもらってよいでしょう。

――で、それが何を意味するか?
一口に云うと、日本人――漫画の読者層はゲームのユーザー層を包含しているので、我々の顧客と言い換えられるのですが――には、漫画(およびアニメ)というアートスタイルが拭いがたく染みついていて、キャラクターの好悪を判断する上でも、漫画・アニメを基準としがちなのです。

 日本における漫画・アニメの「週刊」という量産を前提とした発行形態は、特殊なアートスタイルを確立しました。それは、高い記号性――と言えば聞こえはいいのですが、要は省力化(手抜き?)です。キャラクターを描き分ける手間を省いて装飾や髪型だけで差をつけたり、表情を描かずに「汗(giant sweatdrop)」や「怒(popping vein)」などの漫符(形喩)で済ませたり、という手法です。

これの善し悪しはともかく、こうした手法のアートに慣れ親しんだ日本人にとっては、「キャラクター」=「好ましいベースキャラクター(実は特徴が無くとも良い)」に「他者と異なる記号(装飾)」を載せた物だという事は覚えておいてください。例えば、本来記号化されるべき「瞳」がリアルに描かれるだけで「西洋的だ」と嫌悪感を示す人間も多いですし、また、記号によってではなくベースキャラクターのフォルムによって他者との差別化を図る手法もまた、日本市場では必要条件を満たしていないと判断される危険性があります。

以下次号!

この間、「イアラ」という楳図かずおの漫画を読んでいたら、とあるコマで、子供の頃に立ち読みしていた記憶がフラッシュバックした。

これって、俺が4歳の時にビッグコミック誌で不定期連載されていたモノだから、つうコトはつまり、俺って4歳の頃にビッグコミックを立ち読みしてたワケよ。

ありえんでしょう、4歳にしてビッグコミックを立ち読みする幼児(笑)。
でもこれはマジな話。
俺が、今の仕事が出来ているのも、漫画読みというセカンドスキルのおかげだと思う。

ところで、日本の漫画市場ってやっぱり不思議。市場規模はこれほど大きいのに、日本人に許容されるベーススタイルのパターン数って、それほど多くないんだよね。

言葉を換えると、大半の漫画家が「自分のスタイル」だと思っている絵は、漫画文化を見慣れていない人間(たとえば外人)にとっては、誰かのコピーに毛が生えたようなモノでしかないんだよね。「青木雄二スタイル」を例にとれば解りやすいかな。全部同じに見えるでしょ?

連載時に榎本さんが「なんでアメコミの顔は皆んな同じなの?」と疑問を呈していたけど、アメコミを読み慣れてると、例えば同じスパイダーマンでも、RomitaとDitkoは違うし、ましてやMcFarlaneなんて全然違う。つまりはソレと同じコトなワケですな。

いや別にソレが良いとか悪いとか云うワケではなく、日本では、少なくとも半数以上の作品は、個々の漫画のアイデンティティはスタイルではなく、記号性であったり、ストーリーであったり、そういうモノによって成り立っていますよ、っていう単なる「事実」。

確かに中には、スタイルだけでなく、ストーリーも記号までも借り物で、「オマエは漫画家を名乗るんじゃない!」という漫画描きも多いんだけどね…。

というワケで俺は、スタイルからテーマから、もう何から何まで、新しいモノを生み出そうとしている漫画家が好きなワケですよ。

榎本さんとか、ね。

投稿者 tsurumy : 2003年01月31日 06:00

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