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2002年09月06日

嘘六百・第8回

 第6回で牧野ウェーブマスター社長を採り上げた際に、ランドホーの近藤智宏氏についてもチョイと触れましたが、偶々その号に「スペースフィッシャーメン」の記事で近藤本人のインタビューが載っていて、ちょいと吃驚しましたよ。牧野が「ヘビ蛇の眼を持つ男」と呼ばれていたのに対して、近藤は「子供の顔に大人の醒めた眼を持つ男」と呼ばれていましたが、記事の写真は(髭こそあれど)往事とまったく変わらぬ童顔っぷり。今回は、その頃を懐かしみ、近藤にまつわるあるソフトの制作秘話なぞを記してみようかと思います。


 あれはサターン立ち上げの頃でしたか。同期のコンシューマ近藤プロデューサーが、当時アーケードに居た私に、珍しく電話をくれました。
「新しい企画についての意見をくれ」
 近藤は、二木(ふたつぎ)という名の若い企画マンを連れてきました。彼の企画を近藤がプロデュースしているんだとか。

 二木の立てた企画の内容は、装甲をまとった竜に乗って操縦するフライトシミュレータ要素と、360度ガンシューティング的要素を融合させた、野心的なもの。しかし企画書を見た私は、正直、「あちゃー」と思いました。悪い意味で。

 当時、我々AM部署に伝わっていた「ゲームデザイン的金言」によれば、このような異なるゲーム性が混在する「モードゲーム」は「労多くして実り少なく、避けなければならない」とされていたのです(ちなみにこれは、先輩である内田刑事長が「エイリアンストーム」の制作後に遺した言葉です)。当時、セガAM内部には、このような「口伝」の形で、様々なノウハウが蓄積されており、そうした経験則の蓄積こそが、「歴史ある大手メーカー」の製品クオリティを保持する役を担っていたのです。

 ともかく、モードゲームは「倍の労力をかけて、やっと各モードが面白くなる。しかも各モードの面白さが打ち消し合うため、実感としては4倍の労力が必要」と言われていたので、いくら企画書が面白くても、「実際に完成させる事は出来ないだろう、殊に若い企画マンでは」と私は診てしまいました。それ故の「あちゃー」だったのです。

 しかし、鼻っ柱の強い企画マン・二木は反発しました。「絶対、作って見せます! 賭けてもいいですよ!」。
 そして私も乗りました「じゃあ、何を賭けよう。高い飯…鰻なんかどうだ? よし、賭けは成立!」


 さてその後、私は賭けに無事負けて、そのソフトは完成・大ヒットとなったのでした――それが、初代「パンツァードラグーン」だったりするわけです。

 もちろん二木だけの力ではなく、デザイン部隊・ソフト部隊の尽力も、ひとかたならぬものがあったのでしょう。でも、あの時の二木と、それをプロデュースする近藤には、いわゆる「大手メーカーの『ノウハウ』」を超越えた、無闇矢鱈な何かが、確かに、ありました。それを一口に言うなら――セガ社歌のタイトル「若い力」なんですが。

教訓:ヒットのために、鰻を賭けろ!

この回は、編集のウメちゃんにはウケが良かったみたい。なんでも、ヒット作の隠れたエピソードと、ゲームデザイン現場のノウハウが、ほどよくミックスされているかららしい。
そういえば、「げんしのことば」を完成後にSCEを去った二木に、どこかのショーで会ったトキも「読みましたよー」とニコニコしながら云われたっけ。こういう、読んだ人に届く連載であってほしいやねえ。皆んな読んでくれてないみたいだし(汗)。

ちなみに、イラストの榎本さんは、誌面にも書いていたけど大のパンツァードラグーン好きで、そもそも榎本さんに出会ったトキも、タクシーの中で、パンツァー話で盛り上がった記憶アリ。

タグ: セガ

投稿者 tsurumy : 2002年09月06日 06:00

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