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2004年04月23日

嘘六百・第49回/「レビューと市場と制作者と」(2)

さてさて。前回は山村モヘップ(12)が十数年ぶりに登場して、「クソゲーなんて、無いんです!」とブチ上げ、終いには「評価なんて要らないのでは?」と、ゲーム雑誌にあるまじき問題発言を連発したものだから、各方面――殊に赤坂界隈で話題騒然なのだそうな(ちなみに、赤坂にはSCEとソフトバンクPがありますな…笑)。

――なんて他人事の様に語っているが、モヘップ(12)は私の別人格なのだから、これは私の考えでもある。で今回は、モヘップ的に言葉足らずだった部分を補足させていただこう。

私はここ2~3年、こんな考えを持ち続けている――どの雑誌にも見られる、「点数付きショートレビュー」(勝手に名付けてみた)だが、最早あれはユーザーにとっての「購入指針(バイヤーズガイド)」足り得ていないな、と。

その証拠に、(モヘップにも書かせたが)ひと昔前であれば高評価のゲームは満遍なく売れていたものだが――だが今や、評価点と売り上げ本数の相関は大きく崩れているように見える。

それを端的に表しているのが、販売店サイドの声だ。我々は受注の際に、販売店の方々にアンケートを行うのを常としているが、最近では「雑誌の評価が高くても、それだけでは発注を増やせないし、逆に評価は低くても売り上げの堅い物がある」と、皆様口を揃えて仰る。ユーザーに最も近い方々のコメントだけに、根拠としては十分だろう。

斯様に、市場の消費動向と離れてしまった「ショートレビュー」ではあるが、私はなにも、止めるべきだと云いたい訳でもなければ、雑誌の編集方針を非難するつもりもない。確かに私も一読者として面白く読んでいるし、人気ページなのも理解出来る。
だが、その人気の理由が、本義である「購入の際に役立つから」ではなく、「ジャスト・フォー・ファン」――単に読んでいて面白いからに過ぎず、点数付けそのものが自己目的化しているのならば、ゲーム業界的な意義は極めて薄いのではないか?という事だ。

私は、レビュー即ち批評の意義は消費者の教化と制作者の評価にあると考える。「教化(カルティベーション)」と云うと硬く聞こえるが、要は「掘り起こし」。よく出来たゲームは、こんなに面白いんですよー!と読者に伝える、バイヤーズガイド的な側面だ(それが崩れているのは上記の通り)。そして評価はもちろん、ゲーム制作の技法を吟味検証する側面――なのだが、ここまで複雑化巨大化したゲームを、短いコメントで吟味検証できるものなのだろうか?


ところで実は私、過去に嘘六百で「雑誌レビューに物申す」的な文章を2度ほど書いて、2度ほどボツをくらっていたりする。ゲーム雑誌上でレビュー批判をするというのは、云ってみれば身内に刃を向けるようなもので、かなり繊細な問題だからだろう。その辺りの経緯とボツ原稿は、六百デザインのサイトに再録してあるので、御用とお急ぎでない方はぜひ読んで欲しいのだが――

今回の原稿、ちゃんと載ってますか?

もし載せてもらえていたなら、次回もこのネタを掘り進める事にしよう。

えー、前回のボツ版前々回のボツ版とを読めばわかるように、俺は雑誌の点数付きショートレビューというモノに、かなりな不満を抱いている。

いや、面白いコトは面白いのよ。特にファミ通のクロスレビューとかね。あれは一種の発明(オリジナルは音楽雑誌かなんかだっけ? でも、ファミ通はエポックメーキングだ)。点数付けとか評価付けって、眺める分には面白いじゃない。でもそれは、本文中でも書いたように「点数付けの自己目的化」に過ぎないわけでさ。

つうか、最初から購入対象にしてる人間以外は、点数しか見ないじゃない。併記されたショートレビューって、情報としては完全にサブの立場でさ、いわば「これは批評だから、好き勝手やるぞ! 文句云うんじゃねえ」っていう言い訳というかアリバイというか、そういうモノに成り下がってる。読者に突き刺さらないし、掘り起こせないし、ヌルくてテキトーな文章でも容認されてる。ように思える。


ところで、連載時にエノモトさんがイラスト上で、

「ショートレビューを書くのなら、最低でもクリアしてからにしろ!」

といった意見を披露していたけど、制作者としての俺の考えは全く違う。
考え方としては、ざるの会5つの誓いで書かれている内容がいちばん近いかな。いわく、

「よく、「ゲームはエンディングまで遊んでから評価しろ」という一見正論のような暴論を目にしますが、我々は「ゲームの構造」から導かれる面白さを頭の中でシミュレートする訓練をつんでいるので、まず遊ばずに評価します。」

企画屋ってのは、企画書・仕様書の段階で面白さを設計する仕事だからして、「このゲームが、どんなターゲット層に向けて、どういうゲーム性を提供しようとしているのか」これが見切れた時点で、そのゲームの「面白さ最大値」は測れちゃうワケね。

あとは、最初の1時間だけを遊んでみれば、プログラマやデザイナの力量とか、プロジェクト運営の能力とかも測れちゃうんで、先の「面白さ最大値」との掛け算で、ほぼ誤差ナシでゲームを評価できちゃう、と。

もちろん、これだけではゲームの「作品性」そのものを評価出来ないという欠点はあるし、エノモトさんが云う「クリアしてからレビューを書け」という意見の根本も、そこにあるんだと思う。ユーザーのゲームに対する「思い入れ」に関わる部分ね。

だけど、そこは「職業的ショートレビュアー」の仕事の範疇ではないだろう、とも思っている。

具体的に例を挙げれば、『ラチェット&クランク』とか『クラッシュ・バンディクー』だ。
この2シリーズは、子供層に特化した面白プロモーション(クリエイティヴ、と言い換えても良い)を、ゲームソフトそのもの以外にも、大量に世に出している。クラッシュの「伝説の1分CMシリーズ」のキチガイっぷりや、昨年、おはスタでは2週にわたって放映した「ラチェット in タイ」のバカっぷり。それらを観たレビュアーなんて居るのだろうか? それらを日常的に目にしている子供達の脳内において、ラチェットは、『ラチェット&クランク』という一ソフト以上の広がりをもっている(はず)。

まあ、大っきなオトモダチにとっての萌えゲームも似た構造なんだけど、そうした広がりをショートレビューで評価する術は、もちろん、無い。せいぜい、「ファンにはオススメ」とか、知ったような紋切りワードでくくるのがせいぜいだ。WEB上でググれば、思い入れたっぷりの「読ませる」個人的レビューが氾濫している今、ショートレビューで採り上げる範疇ではない、というコトでもあるけれど。


ちょっと話が拡散しちゃったけど、まあナニを云いたかったのかというと、「ショートレビュー必要ナシ」ま、そーゆーコトです。

投稿者 tsurumy : 2004年04月23日 06:00

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