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2002年11月08日

嘘六百・第12回

 なんと前号(10/11発売号)に、私がプロデュースしている「ラチェット&クランク」の記事が、早くも載ってましたねえ。言ってくれれば合わせて書いたのに!
 ――でも、10月某日に雑誌社へ資料を出したのが、11日発売号にもう載ってるとは…(速いよ編ウメちゃん!)。

 まあ私は「パブリシティ権」を持たされていない雇われの身なので、この話はこれ以上ツッコミません。その代わり、今回の発表に合わせて、ここ数年ずっと一緒に仕事をしている、盟友マーク・サーニーについて書くことにしましょう。

 ところで、マークの事は御存知ですよね? 若干13歳ながら飛び級で大学に入り、在学中にアタリで「マーブル・マッドネス」等をほぼ独りで作り上げた後、セガで「ソニック2」、UIS(ユニバーサル・インタラクティヴ・スタジオ)で「クラッシュ・バンディクー」等を立ち上げた、ゲームデザイナーにしてA級プログラマー。「天才」の名を恣(ほしいまま)にしている、USゲーム業界キーマンの1人です。

 私はセガAM在籍当時、旧本社ビル7Fの、鈴木久司本部長(当時)の席の近くに座っていました。なので、鈴木さんを訪問する方々は必ず、私の席の横を通っていったものです。アイルトン・セナにアラン・プロスト、マイケル・ジャクソンに石井竜也、セガが華やかなりし頃は、それはもう、様々な有名人・お偉いさん達が私の身体の上を傍らを通り過ぎて行きました。そんな中に、鈴木久司さんと仲の良いマークも居たのです。

 私は、当時としては珍しい重度のスパイダーマン・マニアで、アメリカから輸入した「the Amazing Spider-Man」最新号を、いつも机に飾るほどでした。それに目を留めたのが、通りすがりのマーク。彼はX-MENマニアで、まあ共通の話題=アメコミをきっかけに、徐々に打ち解けていったという次第。で、私は彼を知れば知るほど、彼の勉強っぷりに舌を巻くようになりました。
彼は生粋のアメリカ人なのですが、日本語が、見る見る間に――それこそ、週単位で上達していたのです! 常に単語カードを持ち歩き、「今週は○○語覚える」「この半年で◎◎語覚えた」という、非常にシステマチックな勉強方法を採り、しかも、覚えた事は忘れない。彼が日本を離れる頃には、ヘタな日本人よりも日本語達者、そして日本文化通になっていたのです。

 例えば、こんな話があります。マークと飲んでいた時(彼曰く「のみゅにけーしょん」――オヤジギャグだ――)、ふとした拍子に「漢字の書き順」についての議論が始まりました。いわば「日米漢字書き順対決」。私も日本語には些か自信があるので、これは母国語人(ネイティヴ)として負けられません。しかし、普通は有り得んでしょう、「凸」や「凹」の書き順で争うアメリカ人なんて(笑)。
――まあ結果は私の勝ちだったのですが、といってマークが負けた訳ではなく、彼は完璧でした。ただ残念なことに――なんと彼の教科書自体が誤っていたのです! そんな細かい誤植まで、何故覚えてますかッ!?

教訓:努力する天才、これ最強。


 ――ゲームネタへ移る前に字数が尽きてしまったので、次回に続きます。

96年頃、佐藤明さん(SCEJチェアマン)に「おい、マーク・サーニーって知ってるか?」と会社で訊かれたトキは、むちゃくちゃビックリしたもんだ。

当然覚えている。セガ時代に知り合った、すげえガイジン。

彼がSCEアメリカを通じて売り込んできたソフトが、まさに「クラッシュ・バンディクー」で、それから今に至るまで、ずーっと一緒に仕事してるってんだから、「縁」とは異なもの味なもの、ですな。

投稿者 tsurumy : 2002年11月08日 06:00

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