« 嘘六百・第6回 | メイン | 15の夜 »

2002年08月17日

教育と社会

迷走を続けている学校教育こそが、日本の民度を失墜させたA級戦犯であることは論をまたないが、2世代目・3世代目にしてやっと、じわじわと効果が現れてくるってんだから、ある教育方法の是非を問うのは難しい。んだから、「π=およそ3」に代表されるバカげた「ゆとり教育」とやらも、ひょっとして100年後には何らかの良い効果を現しているのかもしれない。その頃の日本では、物々交換が主流になっていて、数字は4まで数えられれば日常生活に事足りるのかもしれないし、ね。

――あ、コレってもちろん皮肉ね。教育レベルを下げる方針が正しいハズがない。ただでさえ、日本の教育には重大な欠落がいくつも(一例をあげると、「会社の立て方」「借金の仕方」などの実社会で必須の知識とか)あるというのに、それを更に削っていったら、「社会人」ではないものが世に溢れてしまう。いいのかそれで。

「借金の仕方」で思ったけど、クレジット/ローンのCMって罪だよなあ。借金の仕方を学んでいない人間にお金をホイホイ貸しちゃって、そりゃ搾り取れるのも当然だっての。赤子の手をひねるようなもんだ。一方では、消費や購買を煽るような情報も氾濫しているし。よく出来た搾取システムだと言わざるを得ない。

そうした搾取システムが堂々と罷り通る社会に対して「通用する人間=社会人」を作り出しているのだろうか、現在の教育システムは。――「否」だろう。目指してすらいないような気がする。喩えて言うなら、教習所を卒業したての人間が、首都高を走るスキルを持っていないのは、教習システムの欠陥なのだ。なのに、それが事故件数を上げているとしても、改善されることは決して、ない。馬鹿げたことだ。

しかし、もう何十年も「教育委員会」とか「文部省」とか「高野連」が、世間の感覚とズレまくった「おカタい団体」の代名詞として使われているのにもかかわらず、依然としてその座を保ち続けているというのは、いったい何故なんだろう? 世代交代が進んでおらず「老害」が蔓延っているのか? それとも、おカタい人間ばかりを後継者とし続ける、イヤな純血主義のため? もしかしたら、融通の利かない人間ばかりを代表とするシステムが構築されている?

まあいずれにせよ、いまだにカンガルーバーを付けたデリカが走っているところを見ると、日本では「教育」というものが機能していないのは間違いなかろう。そりゃあ江川達也も、その才能を「面白いマンガ」を描くためにではなく、「教育」のために使おうという気になるわけだ。

日本の夜明けは遠いねえ。

投稿者 tsurumy : 2002年08月17日 06:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.0600design.com/mt/mt-tb.cgi/125